●マウグリイとバンーダーローグ 大分前、私が初めてインドに行った時、すでにインドにいた私の兄が、私にインドの紳士に向かってする正しい挨拶の仕方を教えてくれました。「チュープ・ウ・バンダー・ケ・バッチャ・ジョア(“Choop u bunder ke butcha joa”)」というのです。これは、「お早うこざいます」という意味であります。 私は、これをインドの紳士に言いました。ところが、どうも気にいらぬらしいということがわかったのです。そこで私は、言葉に気をつけて、その訳を尋ねました。驚いたことに、それは「お早うございます」ではなかったのです。「しめ出してしまえ。このサルの子め、出てゆけ!」ということだったのです。 イギリスでは、小さい子供のことを「若い子ザル」と言ってもよいのですが、インドでは「サル」と呼ばれることは、この上もない無礼にあたるのです。 サルと仲よしになるな 皆さんの中には、都合良くラジャード・キプリングの書いた「ジャングル・ブックス」を読んで、いろいろなお話を読んだ人もあると思います。そのお話の1つに、マウグリイがバンというサルどもにさらわれて、危ない目にあった話があるのです。マウグリイは人間の子供で、オオカミたちに育てられて、オオカミの群(パック)の仲間になった。ジャングルにいる、他の動物たちとも大の仲良しであります。 マウグリィは、いつでしたかクマのバルーとヒョウのバギヤーに「ぼくはバンダーローグが好きだ。とても元気で陽気だもの。」と、言ったことがありました。 ところが、バルーが言うには、それは考え違いだ。バンと遊んではいけません。あいつらにはオオカミの「さだめ」のようなものがない。人から聞いたことばかりしゃべって面白がっている。そして、自分を賢いと思っている。ところが、本当は、ゼロで、バカで、大ホラ吹きなんだ。自分で何1つしてみたためしがない。働かないでおしゃべりばっかりしている。ほんとに悪漢で不潔なやつだ、というのでした。 サルを相手にする者は、ジャングルにはいないのです。卑怯な動物ですから、林の中に逃げこんで怪我をしている動物にドングリを投げつけたり、棒を投げたりします。彼らは、とても物覚えが悪くて、忘れっぼいので、素晴らしい「さだめ」を作る端から、忘れてしまうのです、と。 私は、ときどきこんな子供たらはバンダーローグの仲間になる方がよいと思うことがあります。・・・・それは、おしゃべりで口ばかりで、実行をしない子供、不潔でだらしない子供、卑怯でいじわるの子供、オオカミの子供が持っているようなさだめもないし、紀律もない少年がそれであります。 どのようにして、サルどもはマウグリイを、さらったか ある日のこと、バンダーローグは、マウグリイをさらって逃げました。 サルどもは、木の隙間からマウグリイが、木の技やつる草で、自分の小さい家を作っているのをじいっと見ていたのです。そのときサルは、自分たちの家の作り方をマウグリイに教えてもらうため、マウグリイをさらってやろう。こいつは愉快この上なしと考えたのであります。 そこで、またの日、マウグリイが眠っていたとき、サルどもは木の上から降りてきてマウグリイを捕まえました。サルの仲間の力持ちの2匹が腕に抱ええスルスルと木のてっペんに上りました。それから、木の枝から枝へと渡り飛んで、何マイルも何マイルも走り続け、マウグリイの仲間のいない方へと運んだのです。 時々、マウグリイは地面を見下ろしたのですが、それは、枝と枝との隙間からずっと下の方に見えました。サルたちが木の葉や小枝をくぐって自分を引きずるからよく見えないのです。時には、サルどもはある木から次の木に移る空間を、飛んで渡るのです。渡りついたとき、その木の枝は波のように揺れるのです。 サルどもは、時々咳をしたりわめいたりして、体を空中に振って横飛びになったり、落ちるように下へ飛んだと思うと、ふいに上の方へ跳ね上がったり、次の木の下の方の枝にぶらさがったりするのです。 このようにして、跳ねたりぶっつかったり吠えたり、金切り声をあげたりして、バンダーローグの一族は、マウグリイを木のてっペんの道に沿うて罪人でも運ぶように連れて行きました。 マウグリイ、ジャングルの合図を叫ぶ マウグリイは、さらわれて行く途中、森の中の他の動物に助けを求めるジャングルの合図を叫びました。頭の上を飛んでいるチルという名のトビが、この様子に気づき、サルたちがどこへ運ぶかをよく見て、バルーとバギヤーに知らせました。 バルーとバギヤーは、森の中を難儀してくぐり抜け、サルたちがマウグリイを連れて行った方へと進むのですが、バルーは年寄りで足が遅くて、バンダーローグに追いつくことができません。 そこで、バルーとバギヤーとは、カーのところへ行きました。カーというのは大きなヘビです。おとなしい、のろい年寄りなのですが、とてもお腹がすいているので、バンダーローグ退治に加わることを、いともたやすく承知してくれたのです。バギヤーは、バンダーローグが君のことを「足のない黄色のミミズ」だと言っているぜと、カーに告げました。 カーは年をとっているので、中々腹を立てませんでしたが、この悪口を聞くと、すっかり怒りました。そしてバルーが、「君はぼくらのサル退治を助けない気か?」と聞きますと、カーは、「ぼくを黄色い魚だなんて言うにいたっては、もう我慢できん。魚だなんてとんでもない」と言いました。 バギヤーは、「そりゃそうだ。だが、ムシの中でも足のない黄色のミミズだと、サルたちは言ってるんだぜ」と言いました。 カーはその言葉を聞くと、いよいよ腹を立てて、バルーやバギヤーと一緒に行くこととなり、サルどもが人間の真似をして住んでいる荒れ果てた町の方へ出かけました。 バギヤーは、しっかりものなので、バルーとカーの先頭に立ち、サルどもがマウグリイを取り囲んでいるところまでくると、大胆に突進して攻撃したのです。 けれども相手のサルは、何千匹となく大勢いる。それがバギヤーにかかってきたものですから、たちまちバギヤーはやっつけられました。バギヤーは水のいっぱいあるプールの中に飛びこんでサルから逃れたのです。そのころ、やっとバルーは、やってきてサルたちに組みついたのです。 さあ、大格闘になりました。サルどもは、マウグリイを取り返えされないように小屋の屋根の上に連れて行き、その下にある穴の中に落としてどこへも逃げられないようにしたのです。穴の中には、たくさんの毒ヘビがいました。けれどもマウグリイはそれと知るや、すぐヘビの暗号(シュウッという)を唱えてみた。すると毒ヘビどもはマウグリイと仲よしになり、ドクを出さなくなりました。 >>>>目次に戻る↑↑ ●カーのすくい バキヤーとバルーとは、苦しい戦いに時を過ごしだんだん弱ってきたのです。その時、この場に年をとったヘビのカーが現われたのです。彼は自分の持っている力を集めて、群がるサルの大群の中に突入し、強い頭で突き、サルどもを、右に左に払いのけました。サルどもが一番怖がるのは、カーが出す「シュッ」という音です。カーは、そのシュッという音でサルを脅したのです。これは、ヘビの一番のごちそうはサルだということを、サルたちが良く知っているからです。そこで、彼らは怖がって後ずさりして逃げ出しました。 バルー、バギヤーそれにカーの3匹は、マウグリイを捕らわれの内から連れ出そうと、その方へ向かって行き、カーは恐るべき強いカを集めて、助けることに成功したのです。それは、壁に自分の頭を叩きつけて穴を開けたのです。マウグリイはその穴から逃れ出ることができました。 それからカーは、体をねじったり、くねらせたり、不思議な進み方をして野原に出ました。そして、そのあたりの木に群がっているサルたちに向けて、シュッと呼びかけ、これからいよいよ腹減りダンスを始めるぞと言い渡しました。体をくねらし、ねじらせて踊るのです。サルどもは、それを見ると我慢ができなくなり、間もなく気を失いました。カーがサルどもに「呑まれに来い」と叫びますと、サルはぞろぞろ、カーの方へ引きつけられ、カーがつかまえて食べたいと思うままにやってくるので、1匹ずつ絞めつけて、お腹がいっぱいになるまで呑んでしまいました。 マウグリイが、バンダーローグのためにひどい目にあった冒険談は、これでおしまいです。 >>>>目次に戻る↑↑ ●ウルフ・カブのやくそく 私は、バンダーローグの仲間になりたいというようなバカな子供は、1人もいないことを望みます。その訳は、彼らはすべき仕事を持たず、狩りをしたり遊んだりするにも、守らねばならない「さだめ」がない、ただ暴れ散らすだけの動物だからであります。ウルフ・カブは、そんなバカとは違うのです。・・・・カブたちは、パックに対して尽くすべき「つとめ」をもっているのです。遊ぶにしても、バンダーローグよりか、もっともっと愉快に本当に楽しく遊びます。そして、それは正しいルールによってゲームをするということと、そのゲームは非常にためになるゲームだということです。 ウルフ・カブにこれからなろうとする子供は、スカウトがするように「やくそく」をしなければなりません。 「やくそく」は、 「ぼくは、ベストをつくして神と、女王とにまことをつくし、ウルフ・カブ隊のさだめをまもり、日々誰かに、善行をすることを、やくそくいたします。」 (原文) “I promise to DO MY BEST To do my duty to God、and the Queen、 To keep the Law of the Wolf Cub Pack、 and to do a good turn to somebody everyday” >>>>目次に戻る↑↑ ●まことをつくす(君らのつとめ) 人が約束するとき、もし後になって自分が怠けたり忘れたりして、実行しなかったならば、それはたいへんな、不名誉になるのです。「やくそく」とは、そういうものであります。言いかえれば、ウルフ・カブがする「やくそく」は、きっと実行するというやくそくであります。 1.神に対して 神様にまことをつくすとは、決して神様を忘れないということであります。君が何をする時にでも、神様を思い出すことです。もし君が神様を忘れなかったならば、悪いことは決してしないものです。君が、何か悪いことをしているならば、神様を思い出して悪いことはやめましょう。 君たちは、食事をする前に感謝の言葉を唱えなさいと教わっていますね。また、食事のすんだ後も、そうするよう教わっているでしょう。これは、ものを食べるとか食べないとかは別にして、よいゲームの時でも楽しい日でも、何でも君の嬉しい時には、同じようにするものだと私は思います。神様は、君に喜びを与えて下さったのですから、神様にお礼をいうのはあたりまえであります。 それは、君の好きなものをくださった人たちに、お礼をいうのと同じことなのです。 2.女王にたいして 私は、オオカミたちが、どんなにそのパックの頭のオオカミに従っていたかをお話しました。我々国民もその通りであります。我々イギリスの人たちは、1つの大きなパックなのです。このパックには頭は1人しかなく、それは女王陛下であります。みんなはこの女王様を敬い、女王様に従うのであります。(これは我が国の「さだめ」になっています。)それでこそ、われわれの働きはパックの狩りのように、またフットボールの試合のように、そのキャプテンに従う場合、成功できるのであります。もし、みんなが自分勝手のことをいたしますと、ルールはなくなります。そして、成功しません。けれども、私たちが女王の指図に従って「ゲームをする」ならば、また助け合うならば、われわれの国は立派な国になるのです。 これと同じように、君はウルフ・カブの1人として、君の隊や組のリーダーに従わねばなりません。 3.さだめをまもる どのゲームにもルールがあります。ですから君がゲームをするならば、ルールに従うことになるのです。これこそ君が第2食で学んだウルフ・カブのゲームのルールであり「さだめ」なのであります。 >>>>目次に戻る↑↑ ●よき、おかえし(善行) 毎日、誰かに良いことをするについて。 ウルフ・カブたちは、自分たちを幸せにする素晴らしい名案を持っているのです。 それは、どんな名案だと思いますか? 駆け回ったり、ウルフ・カブのゲームをすることでしょうか? キャンプに行くことでしょうか? 田舎を探検に行くことでしょうか? 獣や鳥の生活の仕方を知ることでしょうか? そのとおり、みんなはそのようなことをして自分たちを幸福にしているのです。けれども、それよりもっと良い仕方があるのです。しかも、もっと簡単にやれるのです。 それは、他の人々を幸福にしてあげ、それによって自分もまた幸福になれるというやり方なのであります。 もう少し詳しく言うと、毎日、誰かに親切をするのであります。誰か・・・・とは、誰でもかまいまぜん(自分でない限り)。お友だちでも、知らない人でも、男でも女でも、赤ちゃんでも。けれども、昔のナイト(騎士)がしたように、婦人と幼児(おさなご)に対しては真っ先にいたわります。 親切だの善行といっても、それは大きな働きをすることに限りません。 皆さんは、お家の中で丁寧に立ち働くチャンスがいくらでもあります。例えば、ちょっとした何かの手伝いとか、また外では小さい子供の手を引いて町を横切るとか、その他いろいろできることがあります。 だれかの荷物を持ってあげるとか、混んでいるバスの中で坐席を譲ってあげるとか、道を教えてあげるとか、婦人にドアーを開けてあげるとか、年寄りの婦人、目の見えない人、幼児が道を横切るのを助けてあげるとか、喉を乾かしている犬や馬に水をやるとか、壊れている巣を直して小鳥が巣に入れるようにしてやるとか、他の子供が鳥をとりにくるのを防ぐとか・・・・君たちは、いつも心を働かさねばなりません。このような数知れぬほどたくさんある善行は、ウルフ・カブにもできることですし、またしなければならないことなのです。良いおかえし(善行)をしますとやくそくした、そのやくそくに従って働く君たらにとって、これはあたりまえであります。 良いおかえしをしたからといって、決してお礼をとってはいけません。ある年とった婦人の荷物を持ってあげたり、タクシーを呼んであげたりしたとき、もしその女の人が、いくらかのお金を君に差し出したとするならば、君はお辞儀をしてこう言うのです。「ありがとうございます。ですが、ぼくはウルフ・カブです。あなたに良いことをしたのは、ぼくの『つとめ』なのですから、お金はいただけません。いただいたのと同じですから、ありがとうこざいました。」と。 もし、そのお金をもらったとするならば、それはもう良いおかえし(善行)になりません。お金をもらうための仕事になってしまいます。 ある、少年が良いことをした。そのあとで、彼は他の少年たちや親や友だちに、とても世界第一の立派なことをしたかのように自慢をしました。しかし、これはウルフ・カブやスカウトたちのするやりかたではありません・・・・ウルフ・カブやスカウトたちは、自分のしたことについては、何1つ話さないのです。 ある日、私の友人の紳士が、ある裏町で1人の泥棒に襲われました。泥棒は、紳士のお腹をぶって、金時計をかっぱらって逃げました。ところが、その近くに1人のボーイスカウトがいて、その泥棒を追跡してたった1人で走りました。しかし、泥棒をつかまえることはできませんでした。けれども、ごく近くまで迫ったので、泥棒は捕まえられるのが恐ろしくなって、持っていたその時計を落として逃げて行ってしまったのです。 そのスカウトは時計を拾い、泥棒は逃してしまったが、その老紳士のところへ戻って、その時計を老神士に渡し、辻馬車を呼んでそれに乗り、そのまま行ってしまったのです。自分の名も、どこの隊なのかも、ひとつも言わずに去って行きました。 そこでその老紳士は私に、その少年を探してほしいと頼んできました。見つかったら、少年にお礼をしたいと言うのでした。私は、決して探しませんでした。そのスカウトは自分のつとめ(デューティ)を尽くしただけであって、自慢したり、人に話したりしないからです。自分のデューティだからしたのであって、報いを求めるためにしたのでないからであります。 これが、スカウトたちの流儀です・・・・カブたちも、その通り。 ウルフ・カブは、するどい眼を持っているものです。カブが敬礼している絵で、そのネッカチーフの端に何かあるのを見たことがありますか? 結び目が2つあるでしょう? 下の方の結び目は、その日1つの良いことをするという心覚えのために結んでいるのです。誰かに対して1つの善行をしてしまったら、このネッカチーフの結び目を解くのであります。 カブの笑い(歯を出して笑うわらい) 今1つあります。もし君がカブのするどい眼をよく見るならば、絵のなかのカブたちが、皆、歯をむき出して笑っていることに気づくでしょう。 本物のオオカミにしろ犬にせよ、駆け回る時、その口を見ると歯をむき出しています。人間のカブもこれと同じように、いっも微笑むのであります。笑いたくない時でも・・・・時には、もっと不快で泣きたくなるような時でも・・・・これを覚えておいて下さい。 カブは泣きません カブたちは、いつも笑いますから、難儀な目に遭っても、苦しくても、困っても、危険に出会っても、泣きません。 いつも笑って堪え忍ぶ 大戦中、我が国の兵士や船員たちがしてきたことですから、カブもできると私は思います。 そう昔のことでもありませんが、フランシス・パルマーという、年の若い男の子がいました。ブリストル第18団のウルフ・カブでしたが、この子が自動車にはねられたのです。そして、左の脚に2か所と顔の横とに切り傷を受けました。 その少年は、本当はとても痛くてたまらないのですが、決して泣かないし痛がらないので、お医者さんや看護婦さんがびっくりしたのです。お医者の1人が、なぜそんなに強いのかと聞きますと、少年は「ぼくは、ウルフ・カブです。ですから泣かないのです」と、答えました。 >>>>目次に戻る↑↑ ●日本のカブ(カブのねらい) (訳者記、この部分英国本にないのでカナダ本から訳す) 1923年(訳者注、大正12年)9月1日の正午すぎ、恐ろしい大地震の後の横浜の、ブラッフの麓にあるレクレイムド・ランドは、倒れた家から死なずに逃げてきた人たちでいっぱいでした。怪我をしなかった人もいましたが、はとんど全部の人々は怪我をしていました。中には、ひどい傷の人もありました。 隊付のイギリス人牧師は、一番傷の重い人はないかと見回っていました。そして、みんなを元気づけました。すると突然1人の少年が、背ののびた草の中に寝ているのが目にとまりました。その少年はいったい誰だろうと、牧師さんが近づくと、少年は片方の手を上げ、力のない声でこう言いました。「ぼく、ここにいますよ。ストロングさん。他の者はみな天国にいます。」「他の者みな」とは、少年の父、母、姉、女の家庭教師、それに友だちのことなのです。後で分かったのですが、お母さんは怪我はしましたが、助かって逃げていたのでした。 この少年は、ウルフ・カブで、名をフランク・ピューリントンといいました。年は9才で、このセトルメントに住む少年の中で一席賢い子供だったのです。左右の足はパルプのように押し潰されていました。 人々は、この少年をボートに移すためやって来ました。みんなで、この少年を起こそうとしたとき、ちょっと少年はしくしく泣きましたが、彼は元気を出して「泣いちゃいけないのだ。ぼくは、ウルフ・カブなんだ。ですけれど、この腕と足は、たいへんな怪我ですから、どうか気をつけて下さいね」と、いいました。人々は静かに彼をボートに乗せ、ドンゴラの板の上に寝かせました。寝かせる時、その少年は人々に、少しでも傷が痛まないような寝かせ方を教えたのです。 あくる朝、医者が見にきた時、少年は「お医者さん。ぼくにかまって下さらなくていいです。他の人たちを、看護してあげて下さい。ぼくはもう、おしまいです。」と言いました。間もなく彼は、この世から去りました。 (訳者注) AJapanese Cubという標題になっているが、Frank Puringtonという名前からして日本人ではなかろう。おそらく、この隊は、英人のグリフィン氏が横浜に作った少年隊らしい。グリフィン氏の少年隊は1912年明治45年4月16日、B−Pが日本に来た時、横浜で出迎えている。その後1916年英国でウルフ・カブが生まれたので、同隊にもカブ隊が付設されたと考えられる。但し、日本人の少年も入隊した事実がある。 ・・・・鈴木慎君・・・・1920年の第1回世界ジャンボリー参加・・・・ さあ、ここでもう1度、お話をジャングルの話こ戻して、カー、バンダーローグのことを続けましょう。 >>>>目次に戻る↑↑ ●大ヘビ「カー」の腹へりダンス リーダーが「カー」の頭となり、パックの残りの者は、しっぽになる。それぞれ、前のカブにつかまり、頭の行く方ならどこへでもついて行く。できるだけのろのろ動き、自分の前のカブの足に歩調を合わせるのです。 頭は、静かに8字形の道すじに沿って滑るように歩く。それから、しっぽを丸く巻くのです。円はだんだん小さくなり、小さくなりきると、逆回りして、再び8字形にほぐれるのです。これはスカウトたちのいう「渦巻き」です。 どのカブも、これをしているうちは「シュッ」という音を出し続けるようにします。少しの足音もたてないように、足をすり足にして歩くのです。そうすれば、ヘビが草むらの中をのたうつような音になるのです。時々「シュッ」という声を高らかに出します。これは自分の友だちを呼ぶヘビのやりかたであります。 こうやって、カーが体を巻いたり解いたりするうちに、リーダーは、「バンダーローグだ」という号令をかけます。そうすると、たちまちカブは別れ別れになり、自分の好きな方向に駆けて行き、それぞれサルの真似をします。 あるサルは急用でもあるかのように忙しそうに、ある方向へ駆けたり、急に止まったり、座わったり、天を見上げたりします。また、あるサルは、訳もなく4つ足で踊り回る。ある者は自分のしっぽを追い回す。1匹が木の技に駆け上って木の中程に座わって引っ掻くまねをする。もう1つのサルは、8字形に駆け回る。もう1つのサルは4つ足で敵に忍び寄る真似をし、急に座わって星を見上げる。またある者は、自分のしっぽをおっかけて2、3歩あるき、藁を拾う真似をして、それを試してから、また捨ててしまう。もう1匹は、頭をつけてひっくり返り、座わって体を掻く。ある者は大事件でもあったように早足で歩いてから止まり、用事を忘れたように自分の頭を掻き、再び別の方向へ大急ぎで歩く。そんなことを2度繰り返すのであります。 本物のサルがするような、バカな真似をするのです・・・・だが、誰がしているのを見て面白がってはいけません。休むヒマなく次々とと変わった真似をします。やっていろ間、サルの鳴き声をするのです。することは全部、何の目的もないバカげた混乱状態なのです。サルの鳴き声「グールルック・グールルック・ホウ・ホウ・グールルック」を、それと同時に叫び合うのです。 出し抜けに、リーダーが「カー」と叫びます。するとサルどもは恐ろしさに震え上がります。この恐ろしい敵が何をするか、サルどもは十分に知りすぎているからです。 カーの頭になるカブは、両手を広げて立ち上がり、両手の親指を組み合わせ、頭を下げてゆっくり体をあちこちに振って立つのです。彼が1たび「シュッ」と言うと、すべてのサルは、いやいやながら前進します。カーは、どれか1匹のサルを指します。震え上がったそのサルは、カーの股の下をくぐって「呑まれてしまう」のです。そして、このリーダーの後ろについてしっぽとなります。これが、ダンスの第1部なのです。おそらく、1ダースのサルは1匹ずつ、この通り呑まれて、再びカーの体が作られるわけです。リーダー以外の者は、ゆっくり後ろに回ってしっぽになるのです。体が全部できあがると、このヘビは面白く動いて円を作ります。そして腹いっぱいごちそうを食べたので眠くなり寝ころんで寝てしまいます。 この寝かたは、しっぽの方から、やりはじめ次から次へと寝て行くのです。 カーの頭が、巻いて巻いて、巻ききる位のぎちぎちの円になると、どのカブも小刻みな歩調になってきます。一番最後のしっぽのカブが、極めてゆっくり体を沈めて寝ころぶ。そして両手で前のカブの肩を押さえて寝かします。このように次々と自分の前のカブの肩を落として寝かせ、カーの全身が寝ころぶのですが、前の3人だけは寝ころびません。この3人はカーの頭に従って一番最後者が眠りに沈むまで、しばらくゆらゆら動いて、頭があたりを見回すのを助けるのです。 (訳着付記) 故佐野常羽先生によって昭和2年に生まれた日本のカビングでは、「やくそく」を「ちかい」と名付け次の「ちかい」を決めた。 1.まこころをみがき恩に報います。 2.おきてをまもり人のためにつくします。 >>>>目次に戻る↑↑
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●カーのすくい バキヤーとバルーとは、苦しい戦いに時を過ごしだんだん弱ってきたのです。その時、この場に年をとったヘビのカーが現われたのです。彼は自分の持っている力を集めて、群がるサルの大群の中に突入し、強い頭で突き、サルどもを、右に左に払いのけました。サルどもが一番怖がるのは、カーが出す「シュッ」という音です。カーは、そのシュッという音でサルを脅したのです。これは、ヘビの一番のごちそうはサルだということを、サルたちが良く知っているからです。そこで、彼らは怖がって後ずさりして逃げ出しました。 バルー、バギヤーそれにカーの3匹は、マウグリイを捕らわれの内から連れ出そうと、その方へ向かって行き、カーは恐るべき強いカを集めて、助けることに成功したのです。それは、壁に自分の頭を叩きつけて穴を開けたのです。マウグリイはその穴から逃れ出ることができました。 それからカーは、体をねじったり、くねらせたり、不思議な進み方をして野原に出ました。そして、そのあたりの木に群がっているサルたちに向けて、シュッと呼びかけ、これからいよいよ腹減りダンスを始めるぞと言い渡しました。体をくねらし、ねじらせて踊るのです。サルどもは、それを見ると我慢ができなくなり、間もなく気を失いました。カーがサルどもに「呑まれに来い」と叫びますと、サルはぞろぞろ、カーの方へ引きつけられ、カーがつかまえて食べたいと思うままにやってくるので、1匹ずつ絞めつけて、お腹がいっぱいになるまで呑んでしまいました。 マウグリイが、バンダーローグのためにひどい目にあった冒険談は、これでおしまいです。 >>>>目次に戻る↑↑ ●ウルフ・カブのやくそく 私は、バンダーローグの仲間になりたいというようなバカな子供は、1人もいないことを望みます。その訳は、彼らはすべき仕事を持たず、狩りをしたり遊んだりするにも、守らねばならない「さだめ」がない、ただ暴れ散らすだけの動物だからであります。ウルフ・カブは、そんなバカとは違うのです。・・・・カブたちは、パックに対して尽くすべき「つとめ」をもっているのです。遊ぶにしても、バンダーローグよりか、もっともっと愉快に本当に楽しく遊びます。そして、それは正しいルールによってゲームをするということと、そのゲームは非常にためになるゲームだということです。 ウルフ・カブにこれからなろうとする子供は、スカウトがするように「やくそく」をしなければなりません。 「やくそく」は、 「ぼくは、ベストをつくして神と、女王とにまことをつくし、ウルフ・カブ隊のさだめをまもり、日々誰かに、善行をすることを、やくそくいたします。」 (原文) “I promise to DO MY BEST To do my duty to God、and the Queen、 To keep the Law of the Wolf Cub Pack、 and to do a good turn to somebody everyday” >>>>目次に戻る↑↑ ●まことをつくす(君らのつとめ) 人が約束するとき、もし後になって自分が怠けたり忘れたりして、実行しなかったならば、それはたいへんな、不名誉になるのです。「やくそく」とは、そういうものであります。言いかえれば、ウルフ・カブがする「やくそく」は、きっと実行するというやくそくであります。 1.神に対して 神様にまことをつくすとは、決して神様を忘れないということであります。君が何をする時にでも、神様を思い出すことです。もし君が神様を忘れなかったならば、悪いことは決してしないものです。君が、何か悪いことをしているならば、神様を思い出して悪いことはやめましょう。 君たちは、食事をする前に感謝の言葉を唱えなさいと教わっていますね。また、食事のすんだ後も、そうするよう教わっているでしょう。これは、ものを食べるとか食べないとかは別にして、よいゲームの時でも楽しい日でも、何でも君の嬉しい時には、同じようにするものだと私は思います。神様は、君に喜びを与えて下さったのですから、神様にお礼をいうのはあたりまえであります。 それは、君の好きなものをくださった人たちに、お礼をいうのと同じことなのです。 2.女王にたいして 私は、オオカミたちが、どんなにそのパックの頭のオオカミに従っていたかをお話しました。我々国民もその通りであります。我々イギリスの人たちは、1つの大きなパックなのです。このパックには頭は1人しかなく、それは女王陛下であります。みんなはこの女王様を敬い、女王様に従うのであります。(これは我が国の「さだめ」になっています。)それでこそ、われわれの働きはパックの狩りのように、またフットボールの試合のように、そのキャプテンに従う場合、成功できるのであります。もし、みんなが自分勝手のことをいたしますと、ルールはなくなります。そして、成功しません。けれども、私たちが女王の指図に従って「ゲームをする」ならば、また助け合うならば、われわれの国は立派な国になるのです。 これと同じように、君はウルフ・カブの1人として、君の隊や組のリーダーに従わねばなりません。 3.さだめをまもる どのゲームにもルールがあります。ですから君がゲームをするならば、ルールに従うことになるのです。これこそ君が第2食で学んだウルフ・カブのゲームのルールであり「さだめ」なのであります。 >>>>目次に戻る↑↑ ●よき、おかえし(善行) 毎日、誰かに良いことをするについて。 ウルフ・カブたちは、自分たちを幸せにする素晴らしい名案を持っているのです。 それは、どんな名案だと思いますか? 駆け回ったり、ウルフ・カブのゲームをすることでしょうか? キャンプに行くことでしょうか? 田舎を探検に行くことでしょうか? 獣や鳥の生活の仕方を知ることでしょうか? そのとおり、みんなはそのようなことをして自分たちを幸福にしているのです。けれども、それよりもっと良い仕方があるのです。しかも、もっと簡単にやれるのです。 それは、他の人々を幸福にしてあげ、それによって自分もまた幸福になれるというやり方なのであります。 もう少し詳しく言うと、毎日、誰かに親切をするのであります。誰か・・・・とは、誰でもかまいまぜん(自分でない限り)。お友だちでも、知らない人でも、男でも女でも、赤ちゃんでも。けれども、昔のナイト(騎士)がしたように、婦人と幼児(おさなご)に対しては真っ先にいたわります。 親切だの善行といっても、それは大きな働きをすることに限りません。 皆さんは、お家の中で丁寧に立ち働くチャンスがいくらでもあります。例えば、ちょっとした何かの手伝いとか、また外では小さい子供の手を引いて町を横切るとか、その他いろいろできることがあります。 だれかの荷物を持ってあげるとか、混んでいるバスの中で坐席を譲ってあげるとか、道を教えてあげるとか、婦人にドアーを開けてあげるとか、年寄りの婦人、目の見えない人、幼児が道を横切るのを助けてあげるとか、喉を乾かしている犬や馬に水をやるとか、壊れている巣を直して小鳥が巣に入れるようにしてやるとか、他の子供が鳥をとりにくるのを防ぐとか・・・・君たちは、いつも心を働かさねばなりません。このような数知れぬほどたくさんある善行は、ウルフ・カブにもできることですし、またしなければならないことなのです。良いおかえし(善行)をしますとやくそくした、そのやくそくに従って働く君たらにとって、これはあたりまえであります。 良いおかえしをしたからといって、決してお礼をとってはいけません。ある年とった婦人の荷物を持ってあげたり、タクシーを呼んであげたりしたとき、もしその女の人が、いくらかのお金を君に差し出したとするならば、君はお辞儀をしてこう言うのです。「ありがとうございます。ですが、ぼくはウルフ・カブです。あなたに良いことをしたのは、ぼくの『つとめ』なのですから、お金はいただけません。いただいたのと同じですから、ありがとうこざいました。」と。 もし、そのお金をもらったとするならば、それはもう良いおかえし(善行)になりません。お金をもらうための仕事になってしまいます。 ある、少年が良いことをした。そのあとで、彼は他の少年たちや親や友だちに、とても世界第一の立派なことをしたかのように自慢をしました。しかし、これはウルフ・カブやスカウトたちのするやりかたではありません・・・・ウルフ・カブやスカウトたちは、自分のしたことについては、何1つ話さないのです。 ある日、私の友人の紳士が、ある裏町で1人の泥棒に襲われました。泥棒は、紳士のお腹をぶって、金時計をかっぱらって逃げました。ところが、その近くに1人のボーイスカウトがいて、その泥棒を追跡してたった1人で走りました。しかし、泥棒をつかまえることはできませんでした。けれども、ごく近くまで迫ったので、泥棒は捕まえられるのが恐ろしくなって、持っていたその時計を落として逃げて行ってしまったのです。 そのスカウトは時計を拾い、泥棒は逃してしまったが、その老紳士のところへ戻って、その時計を老神士に渡し、辻馬車を呼んでそれに乗り、そのまま行ってしまったのです。自分の名も、どこの隊なのかも、ひとつも言わずに去って行きました。 そこでその老紳士は私に、その少年を探してほしいと頼んできました。見つかったら、少年にお礼をしたいと言うのでした。私は、決して探しませんでした。そのスカウトは自分のつとめ(デューティ)を尽くしただけであって、自慢したり、人に話したりしないからです。自分のデューティだからしたのであって、報いを求めるためにしたのでないからであります。 これが、スカウトたちの流儀です・・・・カブたちも、その通り。 ウルフ・カブは、するどい眼を持っているものです。カブが敬礼している絵で、そのネッカチーフの端に何かあるのを見たことがありますか? 結び目が2つあるでしょう? 下の方の結び目は、その日1つの良いことをするという心覚えのために結んでいるのです。誰かに対して1つの善行をしてしまったら、このネッカチーフの結び目を解くのであります。 カブの笑い(歯を出して笑うわらい) 今1つあります。もし君がカブのするどい眼をよく見るならば、絵のなかのカブたちが、皆、歯をむき出して笑っていることに気づくでしょう。 本物のオオカミにしろ犬にせよ、駆け回る時、その口を見ると歯をむき出しています。人間のカブもこれと同じように、いっも微笑むのであります。笑いたくない時でも・・・・時には、もっと不快で泣きたくなるような時でも・・・・これを覚えておいて下さい。 カブは泣きません カブたちは、いつも笑いますから、難儀な目に遭っても、苦しくても、困っても、危険に出会っても、泣きません。 いつも笑って堪え忍ぶ 大戦中、我が国の兵士や船員たちがしてきたことですから、カブもできると私は思います。 そう昔のことでもありませんが、フランシス・パルマーという、年の若い男の子がいました。ブリストル第18団のウルフ・カブでしたが、この子が自動車にはねられたのです。そして、左の脚に2か所と顔の横とに切り傷を受けました。 その少年は、本当はとても痛くてたまらないのですが、決して泣かないし痛がらないので、お医者さんや看護婦さんがびっくりしたのです。お医者の1人が、なぜそんなに強いのかと聞きますと、少年は「ぼくは、ウルフ・カブです。ですから泣かないのです」と、答えました。 >>>>目次に戻る↑↑ ●日本のカブ(カブのねらい) (訳者記、この部分英国本にないのでカナダ本から訳す) 1923年(訳者注、大正12年)9月1日の正午すぎ、恐ろしい大地震の後の横浜の、ブラッフの麓にあるレクレイムド・ランドは、倒れた家から死なずに逃げてきた人たちでいっぱいでした。怪我をしなかった人もいましたが、はとんど全部の人々は怪我をしていました。中には、ひどい傷の人もありました。 隊付のイギリス人牧師は、一番傷の重い人はないかと見回っていました。そして、みんなを元気づけました。すると突然1人の少年が、背ののびた草の中に寝ているのが目にとまりました。その少年はいったい誰だろうと、牧師さんが近づくと、少年は片方の手を上げ、力のない声でこう言いました。「ぼく、ここにいますよ。ストロングさん。他の者はみな天国にいます。」「他の者みな」とは、少年の父、母、姉、女の家庭教師、それに友だちのことなのです。後で分かったのですが、お母さんは怪我はしましたが、助かって逃げていたのでした。 この少年は、ウルフ・カブで、名をフランク・ピューリントンといいました。年は9才で、このセトルメントに住む少年の中で一席賢い子供だったのです。左右の足はパルプのように押し潰されていました。 人々は、この少年をボートに移すためやって来ました。みんなで、この少年を起こそうとしたとき、ちょっと少年はしくしく泣きましたが、彼は元気を出して「泣いちゃいけないのだ。ぼくは、ウルフ・カブなんだ。ですけれど、この腕と足は、たいへんな怪我ですから、どうか気をつけて下さいね」と、いいました。人々は静かに彼をボートに乗せ、ドンゴラの板の上に寝かせました。寝かせる時、その少年は人々に、少しでも傷が痛まないような寝かせ方を教えたのです。 あくる朝、医者が見にきた時、少年は「お医者さん。ぼくにかまって下さらなくていいです。他の人たちを、看護してあげて下さい。ぼくはもう、おしまいです。」と言いました。間もなく彼は、この世から去りました。 (訳者注) AJapanese Cubという標題になっているが、Frank Puringtonという名前からして日本人ではなかろう。おそらく、この隊は、英人のグリフィン氏が横浜に作った少年隊らしい。グリフィン氏の少年隊は1912年明治45年4月16日、B−Pが日本に来た時、横浜で出迎えている。その後1916年英国でウルフ・カブが生まれたので、同隊にもカブ隊が付設されたと考えられる。但し、日本人の少年も入隊した事実がある。 ・・・・鈴木慎君・・・・1920年の第1回世界ジャンボリー参加・・・・ さあ、ここでもう1度、お話をジャングルの話こ戻して、カー、バンダーローグのことを続けましょう。 >>>>目次に戻る↑↑ ●大ヘビ「カー」の腹へりダンス リーダーが「カー」の頭となり、パックの残りの者は、しっぽになる。それぞれ、前のカブにつかまり、頭の行く方ならどこへでもついて行く。できるだけのろのろ動き、自分の前のカブの足に歩調を合わせるのです。 頭は、静かに8字形の道すじに沿って滑るように歩く。それから、しっぽを丸く巻くのです。円はだんだん小さくなり、小さくなりきると、逆回りして、再び8字形にほぐれるのです。これはスカウトたちのいう「渦巻き」です。 どのカブも、これをしているうちは「シュッ」という音を出し続けるようにします。少しの足音もたてないように、足をすり足にして歩くのです。そうすれば、ヘビが草むらの中をのたうつような音になるのです。時々「シュッ」という声を高らかに出します。これは自分の友だちを呼ぶヘビのやりかたであります。 こうやって、カーが体を巻いたり解いたりするうちに、リーダーは、「バンダーローグだ」という号令をかけます。そうすると、たちまちカブは別れ別れになり、自分の好きな方向に駆けて行き、それぞれサルの真似をします。 あるサルは急用でもあるかのように忙しそうに、ある方向へ駆けたり、急に止まったり、座わったり、天を見上げたりします。また、あるサルは、訳もなく4つ足で踊り回る。ある者は自分のしっぽを追い回す。1匹が木の技に駆け上って木の中程に座わって引っ掻くまねをする。もう1つのサルは、8字形に駆け回る。もう1つのサルは4つ足で敵に忍び寄る真似をし、急に座わって星を見上げる。またある者は、自分のしっぽをおっかけて2、3歩あるき、藁を拾う真似をして、それを試してから、また捨ててしまう。もう1匹は、頭をつけてひっくり返り、座わって体を掻く。ある者は大事件でもあったように早足で歩いてから止まり、用事を忘れたように自分の頭を掻き、再び別の方向へ大急ぎで歩く。そんなことを2度繰り返すのであります。 本物のサルがするような、バカな真似をするのです・・・・だが、誰がしているのを見て面白がってはいけません。休むヒマなく次々とと変わった真似をします。やっていろ間、サルの鳴き声をするのです。することは全部、何の目的もないバカげた混乱状態なのです。サルの鳴き声「グールルック・グールルック・ホウ・ホウ・グールルック」を、それと同時に叫び合うのです。 出し抜けに、リーダーが「カー」と叫びます。するとサルどもは恐ろしさに震え上がります。この恐ろしい敵が何をするか、サルどもは十分に知りすぎているからです。 カーの頭になるカブは、両手を広げて立ち上がり、両手の親指を組み合わせ、頭を下げてゆっくり体をあちこちに振って立つのです。彼が1たび「シュッ」と言うと、すべてのサルは、いやいやながら前進します。カーは、どれか1匹のサルを指します。震え上がったそのサルは、カーの股の下をくぐって「呑まれてしまう」のです。そして、このリーダーの後ろについてしっぽとなります。これが、ダンスの第1部なのです。おそらく、1ダースのサルは1匹ずつ、この通り呑まれて、再びカーの体が作られるわけです。リーダー以外の者は、ゆっくり後ろに回ってしっぽになるのです。体が全部できあがると、このヘビは面白く動いて円を作ります。そして腹いっぱいごちそうを食べたので眠くなり寝ころんで寝てしまいます。 この寝かたは、しっぽの方から、やりはじめ次から次へと寝て行くのです。 カーの頭が、巻いて巻いて、巻ききる位のぎちぎちの円になると、どのカブも小刻みな歩調になってきます。一番最後のしっぽのカブが、極めてゆっくり体を沈めて寝ころぶ。そして両手で前のカブの肩を押さえて寝かします。このように次々と自分の前のカブの肩を落として寝かせ、カーの全身が寝ころぶのですが、前の3人だけは寝ころびません。この3人はカーの頭に従って一番最後者が眠りに沈むまで、しばらくゆらゆら動いて、頭があたりを見回すのを助けるのです。 (訳着付記) 故佐野常羽先生によって昭和2年に生まれた日本のカビングでは、「やくそく」を「ちかい」と名付け次の「ちかい」を決めた。 1.まこころをみがき恩に報います。 2.おきてをまもり人のためにつくします。 >>>>目次に戻る↑↑
●ウルフ・カブのやくそく 私は、バンダーローグの仲間になりたいというようなバカな子供は、1人もいないことを望みます。その訳は、彼らはすべき仕事を持たず、狩りをしたり遊んだりするにも、守らねばならない「さだめ」がない、ただ暴れ散らすだけの動物だからであります。ウルフ・カブは、そんなバカとは違うのです。・・・・カブたちは、パックに対して尽くすべき「つとめ」をもっているのです。遊ぶにしても、バンダーローグよりか、もっともっと愉快に本当に楽しく遊びます。そして、それは正しいルールによってゲームをするということと、そのゲームは非常にためになるゲームだということです。 ウルフ・カブにこれからなろうとする子供は、スカウトがするように「やくそく」をしなければなりません。 「やくそく」は、 「ぼくは、ベストをつくして神と、女王とにまことをつくし、ウルフ・カブ隊のさだめをまもり、日々誰かに、善行をすることを、やくそくいたします。」 (原文) “I promise to DO MY BEST To do my duty to God、and the Queen、 To keep the Law of the Wolf Cub Pack、 and to do a good turn to somebody everyday” >>>>目次に戻る↑↑ ●まことをつくす(君らのつとめ) 人が約束するとき、もし後になって自分が怠けたり忘れたりして、実行しなかったならば、それはたいへんな、不名誉になるのです。「やくそく」とは、そういうものであります。言いかえれば、ウルフ・カブがする「やくそく」は、きっと実行するというやくそくであります。 1.神に対して 神様にまことをつくすとは、決して神様を忘れないということであります。君が何をする時にでも、神様を思い出すことです。もし君が神様を忘れなかったならば、悪いことは決してしないものです。君が、何か悪いことをしているならば、神様を思い出して悪いことはやめましょう。 君たちは、食事をする前に感謝の言葉を唱えなさいと教わっていますね。また、食事のすんだ後も、そうするよう教わっているでしょう。これは、ものを食べるとか食べないとかは別にして、よいゲームの時でも楽しい日でも、何でも君の嬉しい時には、同じようにするものだと私は思います。神様は、君に喜びを与えて下さったのですから、神様にお礼をいうのはあたりまえであります。 それは、君の好きなものをくださった人たちに、お礼をいうのと同じことなのです。 2.女王にたいして 私は、オオカミたちが、どんなにそのパックの頭のオオカミに従っていたかをお話しました。我々国民もその通りであります。我々イギリスの人たちは、1つの大きなパックなのです。このパックには頭は1人しかなく、それは女王陛下であります。みんなはこの女王様を敬い、女王様に従うのであります。(これは我が国の「さだめ」になっています。)それでこそ、われわれの働きはパックの狩りのように、またフットボールの試合のように、そのキャプテンに従う場合、成功できるのであります。もし、みんなが自分勝手のことをいたしますと、ルールはなくなります。そして、成功しません。けれども、私たちが女王の指図に従って「ゲームをする」ならば、また助け合うならば、われわれの国は立派な国になるのです。 これと同じように、君はウルフ・カブの1人として、君の隊や組のリーダーに従わねばなりません。 3.さだめをまもる どのゲームにもルールがあります。ですから君がゲームをするならば、ルールに従うことになるのです。これこそ君が第2食で学んだウルフ・カブのゲームのルールであり「さだめ」なのであります。 >>>>目次に戻る↑↑ ●よき、おかえし(善行) 毎日、誰かに良いことをするについて。 ウルフ・カブたちは、自分たちを幸せにする素晴らしい名案を持っているのです。 それは、どんな名案だと思いますか? 駆け回ったり、ウルフ・カブのゲームをすることでしょうか? キャンプに行くことでしょうか? 田舎を探検に行くことでしょうか? 獣や鳥の生活の仕方を知ることでしょうか? そのとおり、みんなはそのようなことをして自分たちを幸福にしているのです。けれども、それよりもっと良い仕方があるのです。しかも、もっと簡単にやれるのです。 それは、他の人々を幸福にしてあげ、それによって自分もまた幸福になれるというやり方なのであります。 もう少し詳しく言うと、毎日、誰かに親切をするのであります。誰か・・・・とは、誰でもかまいまぜん(自分でない限り)。お友だちでも、知らない人でも、男でも女でも、赤ちゃんでも。けれども、昔のナイト(騎士)がしたように、婦人と幼児(おさなご)に対しては真っ先にいたわります。 親切だの善行といっても、それは大きな働きをすることに限りません。 皆さんは、お家の中で丁寧に立ち働くチャンスがいくらでもあります。例えば、ちょっとした何かの手伝いとか、また外では小さい子供の手を引いて町を横切るとか、その他いろいろできることがあります。 だれかの荷物を持ってあげるとか、混んでいるバスの中で坐席を譲ってあげるとか、道を教えてあげるとか、婦人にドアーを開けてあげるとか、年寄りの婦人、目の見えない人、幼児が道を横切るのを助けてあげるとか、喉を乾かしている犬や馬に水をやるとか、壊れている巣を直して小鳥が巣に入れるようにしてやるとか、他の子供が鳥をとりにくるのを防ぐとか・・・・君たちは、いつも心を働かさねばなりません。このような数知れぬほどたくさんある善行は、ウルフ・カブにもできることですし、またしなければならないことなのです。良いおかえし(善行)をしますとやくそくした、そのやくそくに従って働く君たらにとって、これはあたりまえであります。 良いおかえしをしたからといって、決してお礼をとってはいけません。ある年とった婦人の荷物を持ってあげたり、タクシーを呼んであげたりしたとき、もしその女の人が、いくらかのお金を君に差し出したとするならば、君はお辞儀をしてこう言うのです。「ありがとうございます。ですが、ぼくはウルフ・カブです。あなたに良いことをしたのは、ぼくの『つとめ』なのですから、お金はいただけません。いただいたのと同じですから、ありがとうこざいました。」と。 もし、そのお金をもらったとするならば、それはもう良いおかえし(善行)になりません。お金をもらうための仕事になってしまいます。 ある、少年が良いことをした。そのあとで、彼は他の少年たちや親や友だちに、とても世界第一の立派なことをしたかのように自慢をしました。しかし、これはウルフ・カブやスカウトたちのするやりかたではありません・・・・ウルフ・カブやスカウトたちは、自分のしたことについては、何1つ話さないのです。 ある日、私の友人の紳士が、ある裏町で1人の泥棒に襲われました。泥棒は、紳士のお腹をぶって、金時計をかっぱらって逃げました。ところが、その近くに1人のボーイスカウトがいて、その泥棒を追跡してたった1人で走りました。しかし、泥棒をつかまえることはできませんでした。けれども、ごく近くまで迫ったので、泥棒は捕まえられるのが恐ろしくなって、持っていたその時計を落として逃げて行ってしまったのです。 そのスカウトは時計を拾い、泥棒は逃してしまったが、その老紳士のところへ戻って、その時計を老神士に渡し、辻馬車を呼んでそれに乗り、そのまま行ってしまったのです。自分の名も、どこの隊なのかも、ひとつも言わずに去って行きました。 そこでその老紳士は私に、その少年を探してほしいと頼んできました。見つかったら、少年にお礼をしたいと言うのでした。私は、決して探しませんでした。そのスカウトは自分のつとめ(デューティ)を尽くしただけであって、自慢したり、人に話したりしないからです。自分のデューティだからしたのであって、報いを求めるためにしたのでないからであります。 これが、スカウトたちの流儀です・・・・カブたちも、その通り。 ウルフ・カブは、するどい眼を持っているものです。カブが敬礼している絵で、そのネッカチーフの端に何かあるのを見たことがありますか? 結び目が2つあるでしょう? 下の方の結び目は、その日1つの良いことをするという心覚えのために結んでいるのです。誰かに対して1つの善行をしてしまったら、このネッカチーフの結び目を解くのであります。 カブの笑い(歯を出して笑うわらい) 今1つあります。もし君がカブのするどい眼をよく見るならば、絵のなかのカブたちが、皆、歯をむき出して笑っていることに気づくでしょう。 本物のオオカミにしろ犬にせよ、駆け回る時、その口を見ると歯をむき出しています。人間のカブもこれと同じように、いっも微笑むのであります。笑いたくない時でも・・・・時には、もっと不快で泣きたくなるような時でも・・・・これを覚えておいて下さい。 カブは泣きません カブたちは、いつも笑いますから、難儀な目に遭っても、苦しくても、困っても、危険に出会っても、泣きません。 いつも笑って堪え忍ぶ 大戦中、我が国の兵士や船員たちがしてきたことですから、カブもできると私は思います。 そう昔のことでもありませんが、フランシス・パルマーという、年の若い男の子がいました。ブリストル第18団のウルフ・カブでしたが、この子が自動車にはねられたのです。そして、左の脚に2か所と顔の横とに切り傷を受けました。 その少年は、本当はとても痛くてたまらないのですが、決して泣かないし痛がらないので、お医者さんや看護婦さんがびっくりしたのです。お医者の1人が、なぜそんなに強いのかと聞きますと、少年は「ぼくは、ウルフ・カブです。ですから泣かないのです」と、答えました。 >>>>目次に戻る↑↑ ●日本のカブ(カブのねらい) (訳者記、この部分英国本にないのでカナダ本から訳す) 1923年(訳者注、大正12年)9月1日の正午すぎ、恐ろしい大地震の後の横浜の、ブラッフの麓にあるレクレイムド・ランドは、倒れた家から死なずに逃げてきた人たちでいっぱいでした。怪我をしなかった人もいましたが、はとんど全部の人々は怪我をしていました。中には、ひどい傷の人もありました。 隊付のイギリス人牧師は、一番傷の重い人はないかと見回っていました。そして、みんなを元気づけました。すると突然1人の少年が、背ののびた草の中に寝ているのが目にとまりました。その少年はいったい誰だろうと、牧師さんが近づくと、少年は片方の手を上げ、力のない声でこう言いました。「ぼく、ここにいますよ。ストロングさん。他の者はみな天国にいます。」「他の者みな」とは、少年の父、母、姉、女の家庭教師、それに友だちのことなのです。後で分かったのですが、お母さんは怪我はしましたが、助かって逃げていたのでした。 この少年は、ウルフ・カブで、名をフランク・ピューリントンといいました。年は9才で、このセトルメントに住む少年の中で一席賢い子供だったのです。左右の足はパルプのように押し潰されていました。 人々は、この少年をボートに移すためやって来ました。みんなで、この少年を起こそうとしたとき、ちょっと少年はしくしく泣きましたが、彼は元気を出して「泣いちゃいけないのだ。ぼくは、ウルフ・カブなんだ。ですけれど、この腕と足は、たいへんな怪我ですから、どうか気をつけて下さいね」と、いいました。人々は静かに彼をボートに乗せ、ドンゴラの板の上に寝かせました。寝かせる時、その少年は人々に、少しでも傷が痛まないような寝かせ方を教えたのです。 あくる朝、医者が見にきた時、少年は「お医者さん。ぼくにかまって下さらなくていいです。他の人たちを、看護してあげて下さい。ぼくはもう、おしまいです。」と言いました。間もなく彼は、この世から去りました。 (訳者注) AJapanese Cubという標題になっているが、Frank Puringtonという名前からして日本人ではなかろう。おそらく、この隊は、英人のグリフィン氏が横浜に作った少年隊らしい。グリフィン氏の少年隊は1912年明治45年4月16日、B−Pが日本に来た時、横浜で出迎えている。その後1916年英国でウルフ・カブが生まれたので、同隊にもカブ隊が付設されたと考えられる。但し、日本人の少年も入隊した事実がある。 ・・・・鈴木慎君・・・・1920年の第1回世界ジャンボリー参加・・・・ さあ、ここでもう1度、お話をジャングルの話こ戻して、カー、バンダーローグのことを続けましょう。 >>>>目次に戻る↑↑ ●大ヘビ「カー」の腹へりダンス リーダーが「カー」の頭となり、パックの残りの者は、しっぽになる。それぞれ、前のカブにつかまり、頭の行く方ならどこへでもついて行く。できるだけのろのろ動き、自分の前のカブの足に歩調を合わせるのです。 頭は、静かに8字形の道すじに沿って滑るように歩く。それから、しっぽを丸く巻くのです。円はだんだん小さくなり、小さくなりきると、逆回りして、再び8字形にほぐれるのです。これはスカウトたちのいう「渦巻き」です。 どのカブも、これをしているうちは「シュッ」という音を出し続けるようにします。少しの足音もたてないように、足をすり足にして歩くのです。そうすれば、ヘビが草むらの中をのたうつような音になるのです。時々「シュッ」という声を高らかに出します。これは自分の友だちを呼ぶヘビのやりかたであります。 こうやって、カーが体を巻いたり解いたりするうちに、リーダーは、「バンダーローグだ」という号令をかけます。そうすると、たちまちカブは別れ別れになり、自分の好きな方向に駆けて行き、それぞれサルの真似をします。 あるサルは急用でもあるかのように忙しそうに、ある方向へ駆けたり、急に止まったり、座わったり、天を見上げたりします。また、あるサルは、訳もなく4つ足で踊り回る。ある者は自分のしっぽを追い回す。1匹が木の技に駆け上って木の中程に座わって引っ掻くまねをする。もう1つのサルは、8字形に駆け回る。もう1つのサルは4つ足で敵に忍び寄る真似をし、急に座わって星を見上げる。またある者は、自分のしっぽをおっかけて2、3歩あるき、藁を拾う真似をして、それを試してから、また捨ててしまう。もう1匹は、頭をつけてひっくり返り、座わって体を掻く。ある者は大事件でもあったように早足で歩いてから止まり、用事を忘れたように自分の頭を掻き、再び別の方向へ大急ぎで歩く。そんなことを2度繰り返すのであります。 本物のサルがするような、バカな真似をするのです・・・・だが、誰がしているのを見て面白がってはいけません。休むヒマなく次々とと変わった真似をします。やっていろ間、サルの鳴き声をするのです。することは全部、何の目的もないバカげた混乱状態なのです。サルの鳴き声「グールルック・グールルック・ホウ・ホウ・グールルック」を、それと同時に叫び合うのです。 出し抜けに、リーダーが「カー」と叫びます。するとサルどもは恐ろしさに震え上がります。この恐ろしい敵が何をするか、サルどもは十分に知りすぎているからです。 カーの頭になるカブは、両手を広げて立ち上がり、両手の親指を組み合わせ、頭を下げてゆっくり体をあちこちに振って立つのです。彼が1たび「シュッ」と言うと、すべてのサルは、いやいやながら前進します。カーは、どれか1匹のサルを指します。震え上がったそのサルは、カーの股の下をくぐって「呑まれてしまう」のです。そして、このリーダーの後ろについてしっぽとなります。これが、ダンスの第1部なのです。おそらく、1ダースのサルは1匹ずつ、この通り呑まれて、再びカーの体が作られるわけです。リーダー以外の者は、ゆっくり後ろに回ってしっぽになるのです。体が全部できあがると、このヘビは面白く動いて円を作ります。そして腹いっぱいごちそうを食べたので眠くなり寝ころんで寝てしまいます。 この寝かたは、しっぽの方から、やりはじめ次から次へと寝て行くのです。 カーの頭が、巻いて巻いて、巻ききる位のぎちぎちの円になると、どのカブも小刻みな歩調になってきます。一番最後のしっぽのカブが、極めてゆっくり体を沈めて寝ころぶ。そして両手で前のカブの肩を押さえて寝かします。このように次々と自分の前のカブの肩を落として寝かせ、カーの全身が寝ころぶのですが、前の3人だけは寝ころびません。この3人はカーの頭に従って一番最後者が眠りに沈むまで、しばらくゆらゆら動いて、頭があたりを見回すのを助けるのです。 (訳着付記) 故佐野常羽先生によって昭和2年に生まれた日本のカビングでは、「やくそく」を「ちかい」と名付け次の「ちかい」を決めた。 1.まこころをみがき恩に報います。 2.おきてをまもり人のためにつくします。 >>>>目次に戻る↑↑
●まことをつくす(君らのつとめ) 人が約束するとき、もし後になって自分が怠けたり忘れたりして、実行しなかったならば、それはたいへんな、不名誉になるのです。「やくそく」とは、そういうものであります。言いかえれば、ウルフ・カブがする「やくそく」は、きっと実行するというやくそくであります。 1.神に対して 神様にまことをつくすとは、決して神様を忘れないということであります。君が何をする時にでも、神様を思い出すことです。もし君が神様を忘れなかったならば、悪いことは決してしないものです。君が、何か悪いことをしているならば、神様を思い出して悪いことはやめましょう。 君たちは、食事をする前に感謝の言葉を唱えなさいと教わっていますね。また、食事のすんだ後も、そうするよう教わっているでしょう。これは、ものを食べるとか食べないとかは別にして、よいゲームの時でも楽しい日でも、何でも君の嬉しい時には、同じようにするものだと私は思います。神様は、君に喜びを与えて下さったのですから、神様にお礼をいうのはあたりまえであります。 それは、君の好きなものをくださった人たちに、お礼をいうのと同じことなのです。 2.女王にたいして 私は、オオカミたちが、どんなにそのパックの頭のオオカミに従っていたかをお話しました。我々国民もその通りであります。我々イギリスの人たちは、1つの大きなパックなのです。このパックには頭は1人しかなく、それは女王陛下であります。みんなはこの女王様を敬い、女王様に従うのであります。(これは我が国の「さだめ」になっています。)それでこそ、われわれの働きはパックの狩りのように、またフットボールの試合のように、そのキャプテンに従う場合、成功できるのであります。もし、みんなが自分勝手のことをいたしますと、ルールはなくなります。そして、成功しません。けれども、私たちが女王の指図に従って「ゲームをする」ならば、また助け合うならば、われわれの国は立派な国になるのです。 これと同じように、君はウルフ・カブの1人として、君の隊や組のリーダーに従わねばなりません。 3.さだめをまもる どのゲームにもルールがあります。ですから君がゲームをするならば、ルールに従うことになるのです。これこそ君が第2食で学んだウルフ・カブのゲームのルールであり「さだめ」なのであります。 >>>>目次に戻る↑↑ ●よき、おかえし(善行) 毎日、誰かに良いことをするについて。 ウルフ・カブたちは、自分たちを幸せにする素晴らしい名案を持っているのです。 それは、どんな名案だと思いますか? 駆け回ったり、ウルフ・カブのゲームをすることでしょうか? キャンプに行くことでしょうか? 田舎を探検に行くことでしょうか? 獣や鳥の生活の仕方を知ることでしょうか? そのとおり、みんなはそのようなことをして自分たちを幸福にしているのです。けれども、それよりもっと良い仕方があるのです。しかも、もっと簡単にやれるのです。 それは、他の人々を幸福にしてあげ、それによって自分もまた幸福になれるというやり方なのであります。 もう少し詳しく言うと、毎日、誰かに親切をするのであります。誰か・・・・とは、誰でもかまいまぜん(自分でない限り)。お友だちでも、知らない人でも、男でも女でも、赤ちゃんでも。けれども、昔のナイト(騎士)がしたように、婦人と幼児(おさなご)に対しては真っ先にいたわります。 親切だの善行といっても、それは大きな働きをすることに限りません。 皆さんは、お家の中で丁寧に立ち働くチャンスがいくらでもあります。例えば、ちょっとした何かの手伝いとか、また外では小さい子供の手を引いて町を横切るとか、その他いろいろできることがあります。 だれかの荷物を持ってあげるとか、混んでいるバスの中で坐席を譲ってあげるとか、道を教えてあげるとか、婦人にドアーを開けてあげるとか、年寄りの婦人、目の見えない人、幼児が道を横切るのを助けてあげるとか、喉を乾かしている犬や馬に水をやるとか、壊れている巣を直して小鳥が巣に入れるようにしてやるとか、他の子供が鳥をとりにくるのを防ぐとか・・・・君たちは、いつも心を働かさねばなりません。このような数知れぬほどたくさんある善行は、ウルフ・カブにもできることですし、またしなければならないことなのです。良いおかえし(善行)をしますとやくそくした、そのやくそくに従って働く君たらにとって、これはあたりまえであります。 良いおかえしをしたからといって、決してお礼をとってはいけません。ある年とった婦人の荷物を持ってあげたり、タクシーを呼んであげたりしたとき、もしその女の人が、いくらかのお金を君に差し出したとするならば、君はお辞儀をしてこう言うのです。「ありがとうございます。ですが、ぼくはウルフ・カブです。あなたに良いことをしたのは、ぼくの『つとめ』なのですから、お金はいただけません。いただいたのと同じですから、ありがとうこざいました。」と。 もし、そのお金をもらったとするならば、それはもう良いおかえし(善行)になりません。お金をもらうための仕事になってしまいます。 ある、少年が良いことをした。そのあとで、彼は他の少年たちや親や友だちに、とても世界第一の立派なことをしたかのように自慢をしました。しかし、これはウルフ・カブやスカウトたちのするやりかたではありません・・・・ウルフ・カブやスカウトたちは、自分のしたことについては、何1つ話さないのです。 ある日、私の友人の紳士が、ある裏町で1人の泥棒に襲われました。泥棒は、紳士のお腹をぶって、金時計をかっぱらって逃げました。ところが、その近くに1人のボーイスカウトがいて、その泥棒を追跡してたった1人で走りました。しかし、泥棒をつかまえることはできませんでした。けれども、ごく近くまで迫ったので、泥棒は捕まえられるのが恐ろしくなって、持っていたその時計を落として逃げて行ってしまったのです。 そのスカウトは時計を拾い、泥棒は逃してしまったが、その老紳士のところへ戻って、その時計を老神士に渡し、辻馬車を呼んでそれに乗り、そのまま行ってしまったのです。自分の名も、どこの隊なのかも、ひとつも言わずに去って行きました。 そこでその老紳士は私に、その少年を探してほしいと頼んできました。見つかったら、少年にお礼をしたいと言うのでした。私は、決して探しませんでした。そのスカウトは自分のつとめ(デューティ)を尽くしただけであって、自慢したり、人に話したりしないからです。自分のデューティだからしたのであって、報いを求めるためにしたのでないからであります。 これが、スカウトたちの流儀です・・・・カブたちも、その通り。 ウルフ・カブは、するどい眼を持っているものです。カブが敬礼している絵で、そのネッカチーフの端に何かあるのを見たことがありますか? 結び目が2つあるでしょう? 下の方の結び目は、その日1つの良いことをするという心覚えのために結んでいるのです。誰かに対して1つの善行をしてしまったら、このネッカチーフの結び目を解くのであります。 カブの笑い(歯を出して笑うわらい) 今1つあります。もし君がカブのするどい眼をよく見るならば、絵のなかのカブたちが、皆、歯をむき出して笑っていることに気づくでしょう。 本物のオオカミにしろ犬にせよ、駆け回る時、その口を見ると歯をむき出しています。人間のカブもこれと同じように、いっも微笑むのであります。笑いたくない時でも・・・・時には、もっと不快で泣きたくなるような時でも・・・・これを覚えておいて下さい。 カブは泣きません カブたちは、いつも笑いますから、難儀な目に遭っても、苦しくても、困っても、危険に出会っても、泣きません。 いつも笑って堪え忍ぶ 大戦中、我が国の兵士や船員たちがしてきたことですから、カブもできると私は思います。 そう昔のことでもありませんが、フランシス・パルマーという、年の若い男の子がいました。ブリストル第18団のウルフ・カブでしたが、この子が自動車にはねられたのです。そして、左の脚に2か所と顔の横とに切り傷を受けました。 その少年は、本当はとても痛くてたまらないのですが、決して泣かないし痛がらないので、お医者さんや看護婦さんがびっくりしたのです。お医者の1人が、なぜそんなに強いのかと聞きますと、少年は「ぼくは、ウルフ・カブです。ですから泣かないのです」と、答えました。 >>>>目次に戻る↑↑ ●日本のカブ(カブのねらい) (訳者記、この部分英国本にないのでカナダ本から訳す) 1923年(訳者注、大正12年)9月1日の正午すぎ、恐ろしい大地震の後の横浜の、ブラッフの麓にあるレクレイムド・ランドは、倒れた家から死なずに逃げてきた人たちでいっぱいでした。怪我をしなかった人もいましたが、はとんど全部の人々は怪我をしていました。中には、ひどい傷の人もありました。 隊付のイギリス人牧師は、一番傷の重い人はないかと見回っていました。そして、みんなを元気づけました。すると突然1人の少年が、背ののびた草の中に寝ているのが目にとまりました。その少年はいったい誰だろうと、牧師さんが近づくと、少年は片方の手を上げ、力のない声でこう言いました。「ぼく、ここにいますよ。ストロングさん。他の者はみな天国にいます。」「他の者みな」とは、少年の父、母、姉、女の家庭教師、それに友だちのことなのです。後で分かったのですが、お母さんは怪我はしましたが、助かって逃げていたのでした。 この少年は、ウルフ・カブで、名をフランク・ピューリントンといいました。年は9才で、このセトルメントに住む少年の中で一席賢い子供だったのです。左右の足はパルプのように押し潰されていました。 人々は、この少年をボートに移すためやって来ました。みんなで、この少年を起こそうとしたとき、ちょっと少年はしくしく泣きましたが、彼は元気を出して「泣いちゃいけないのだ。ぼくは、ウルフ・カブなんだ。ですけれど、この腕と足は、たいへんな怪我ですから、どうか気をつけて下さいね」と、いいました。人々は静かに彼をボートに乗せ、ドンゴラの板の上に寝かせました。寝かせる時、その少年は人々に、少しでも傷が痛まないような寝かせ方を教えたのです。 あくる朝、医者が見にきた時、少年は「お医者さん。ぼくにかまって下さらなくていいです。他の人たちを、看護してあげて下さい。ぼくはもう、おしまいです。」と言いました。間もなく彼は、この世から去りました。 (訳者注) AJapanese Cubという標題になっているが、Frank Puringtonという名前からして日本人ではなかろう。おそらく、この隊は、英人のグリフィン氏が横浜に作った少年隊らしい。グリフィン氏の少年隊は1912年明治45年4月16日、B−Pが日本に来た時、横浜で出迎えている。その後1916年英国でウルフ・カブが生まれたので、同隊にもカブ隊が付設されたと考えられる。但し、日本人の少年も入隊した事実がある。 ・・・・鈴木慎君・・・・1920年の第1回世界ジャンボリー参加・・・・ さあ、ここでもう1度、お話をジャングルの話こ戻して、カー、バンダーローグのことを続けましょう。 >>>>目次に戻る↑↑ ●大ヘビ「カー」の腹へりダンス リーダーが「カー」の頭となり、パックの残りの者は、しっぽになる。それぞれ、前のカブにつかまり、頭の行く方ならどこへでもついて行く。できるだけのろのろ動き、自分の前のカブの足に歩調を合わせるのです。 頭は、静かに8字形の道すじに沿って滑るように歩く。それから、しっぽを丸く巻くのです。円はだんだん小さくなり、小さくなりきると、逆回りして、再び8字形にほぐれるのです。これはスカウトたちのいう「渦巻き」です。 どのカブも、これをしているうちは「シュッ」という音を出し続けるようにします。少しの足音もたてないように、足をすり足にして歩くのです。そうすれば、ヘビが草むらの中をのたうつような音になるのです。時々「シュッ」という声を高らかに出します。これは自分の友だちを呼ぶヘビのやりかたであります。 こうやって、カーが体を巻いたり解いたりするうちに、リーダーは、「バンダーローグだ」という号令をかけます。そうすると、たちまちカブは別れ別れになり、自分の好きな方向に駆けて行き、それぞれサルの真似をします。 あるサルは急用でもあるかのように忙しそうに、ある方向へ駆けたり、急に止まったり、座わったり、天を見上げたりします。また、あるサルは、訳もなく4つ足で踊り回る。ある者は自分のしっぽを追い回す。1匹が木の技に駆け上って木の中程に座わって引っ掻くまねをする。もう1つのサルは、8字形に駆け回る。もう1つのサルは4つ足で敵に忍び寄る真似をし、急に座わって星を見上げる。またある者は、自分のしっぽをおっかけて2、3歩あるき、藁を拾う真似をして、それを試してから、また捨ててしまう。もう1匹は、頭をつけてひっくり返り、座わって体を掻く。ある者は大事件でもあったように早足で歩いてから止まり、用事を忘れたように自分の頭を掻き、再び別の方向へ大急ぎで歩く。そんなことを2度繰り返すのであります。 本物のサルがするような、バカな真似をするのです・・・・だが、誰がしているのを見て面白がってはいけません。休むヒマなく次々とと変わった真似をします。やっていろ間、サルの鳴き声をするのです。することは全部、何の目的もないバカげた混乱状態なのです。サルの鳴き声「グールルック・グールルック・ホウ・ホウ・グールルック」を、それと同時に叫び合うのです。 出し抜けに、リーダーが「カー」と叫びます。するとサルどもは恐ろしさに震え上がります。この恐ろしい敵が何をするか、サルどもは十分に知りすぎているからです。 カーの頭になるカブは、両手を広げて立ち上がり、両手の親指を組み合わせ、頭を下げてゆっくり体をあちこちに振って立つのです。彼が1たび「シュッ」と言うと、すべてのサルは、いやいやながら前進します。カーは、どれか1匹のサルを指します。震え上がったそのサルは、カーの股の下をくぐって「呑まれてしまう」のです。そして、このリーダーの後ろについてしっぽとなります。これが、ダンスの第1部なのです。おそらく、1ダースのサルは1匹ずつ、この通り呑まれて、再びカーの体が作られるわけです。リーダー以外の者は、ゆっくり後ろに回ってしっぽになるのです。体が全部できあがると、このヘビは面白く動いて円を作ります。そして腹いっぱいごちそうを食べたので眠くなり寝ころんで寝てしまいます。 この寝かたは、しっぽの方から、やりはじめ次から次へと寝て行くのです。 カーの頭が、巻いて巻いて、巻ききる位のぎちぎちの円になると、どのカブも小刻みな歩調になってきます。一番最後のしっぽのカブが、極めてゆっくり体を沈めて寝ころぶ。そして両手で前のカブの肩を押さえて寝かします。このように次々と自分の前のカブの肩を落として寝かせ、カーの全身が寝ころぶのですが、前の3人だけは寝ころびません。この3人はカーの頭に従って一番最後者が眠りに沈むまで、しばらくゆらゆら動いて、頭があたりを見回すのを助けるのです。 (訳着付記) 故佐野常羽先生によって昭和2年に生まれた日本のカビングでは、「やくそく」を「ちかい」と名付け次の「ちかい」を決めた。 1.まこころをみがき恩に報います。 2.おきてをまもり人のためにつくします。 >>>>目次に戻る↑↑
●よき、おかえし(善行) 毎日、誰かに良いことをするについて。 ウルフ・カブたちは、自分たちを幸せにする素晴らしい名案を持っているのです。 それは、どんな名案だと思いますか? 駆け回ったり、ウルフ・カブのゲームをすることでしょうか? キャンプに行くことでしょうか? 田舎を探検に行くことでしょうか? 獣や鳥の生活の仕方を知ることでしょうか? そのとおり、みんなはそのようなことをして自分たちを幸福にしているのです。けれども、それよりもっと良い仕方があるのです。しかも、もっと簡単にやれるのです。 それは、他の人々を幸福にしてあげ、それによって自分もまた幸福になれるというやり方なのであります。 もう少し詳しく言うと、毎日、誰かに親切をするのであります。誰か・・・・とは、誰でもかまいまぜん(自分でない限り)。お友だちでも、知らない人でも、男でも女でも、赤ちゃんでも。けれども、昔のナイト(騎士)がしたように、婦人と幼児(おさなご)に対しては真っ先にいたわります。 親切だの善行といっても、それは大きな働きをすることに限りません。 皆さんは、お家の中で丁寧に立ち働くチャンスがいくらでもあります。例えば、ちょっとした何かの手伝いとか、また外では小さい子供の手を引いて町を横切るとか、その他いろいろできることがあります。 だれかの荷物を持ってあげるとか、混んでいるバスの中で坐席を譲ってあげるとか、道を教えてあげるとか、婦人にドアーを開けてあげるとか、年寄りの婦人、目の見えない人、幼児が道を横切るのを助けてあげるとか、喉を乾かしている犬や馬に水をやるとか、壊れている巣を直して小鳥が巣に入れるようにしてやるとか、他の子供が鳥をとりにくるのを防ぐとか・・・・君たちは、いつも心を働かさねばなりません。このような数知れぬほどたくさんある善行は、ウルフ・カブにもできることですし、またしなければならないことなのです。良いおかえし(善行)をしますとやくそくした、そのやくそくに従って働く君たらにとって、これはあたりまえであります。 良いおかえしをしたからといって、決してお礼をとってはいけません。ある年とった婦人の荷物を持ってあげたり、タクシーを呼んであげたりしたとき、もしその女の人が、いくらかのお金を君に差し出したとするならば、君はお辞儀をしてこう言うのです。「ありがとうございます。ですが、ぼくはウルフ・カブです。あなたに良いことをしたのは、ぼくの『つとめ』なのですから、お金はいただけません。いただいたのと同じですから、ありがとうこざいました。」と。 もし、そのお金をもらったとするならば、それはもう良いおかえし(善行)になりません。お金をもらうための仕事になってしまいます。 ある、少年が良いことをした。そのあとで、彼は他の少年たちや親や友だちに、とても世界第一の立派なことをしたかのように自慢をしました。しかし、これはウルフ・カブやスカウトたちのするやりかたではありません・・・・ウルフ・カブやスカウトたちは、自分のしたことについては、何1つ話さないのです。 ある日、私の友人の紳士が、ある裏町で1人の泥棒に襲われました。泥棒は、紳士のお腹をぶって、金時計をかっぱらって逃げました。ところが、その近くに1人のボーイスカウトがいて、その泥棒を追跡してたった1人で走りました。しかし、泥棒をつかまえることはできませんでした。けれども、ごく近くまで迫ったので、泥棒は捕まえられるのが恐ろしくなって、持っていたその時計を落として逃げて行ってしまったのです。 そのスカウトは時計を拾い、泥棒は逃してしまったが、その老紳士のところへ戻って、その時計を老神士に渡し、辻馬車を呼んでそれに乗り、そのまま行ってしまったのです。自分の名も、どこの隊なのかも、ひとつも言わずに去って行きました。 そこでその老紳士は私に、その少年を探してほしいと頼んできました。見つかったら、少年にお礼をしたいと言うのでした。私は、決して探しませんでした。そのスカウトは自分のつとめ(デューティ)を尽くしただけであって、自慢したり、人に話したりしないからです。自分のデューティだからしたのであって、報いを求めるためにしたのでないからであります。 これが、スカウトたちの流儀です・・・・カブたちも、その通り。 ウルフ・カブは、するどい眼を持っているものです。カブが敬礼している絵で、そのネッカチーフの端に何かあるのを見たことがありますか? 結び目が2つあるでしょう? 下の方の結び目は、その日1つの良いことをするという心覚えのために結んでいるのです。誰かに対して1つの善行をしてしまったら、このネッカチーフの結び目を解くのであります。 カブの笑い(歯を出して笑うわらい) 今1つあります。もし君がカブのするどい眼をよく見るならば、絵のなかのカブたちが、皆、歯をむき出して笑っていることに気づくでしょう。 本物のオオカミにしろ犬にせよ、駆け回る時、その口を見ると歯をむき出しています。人間のカブもこれと同じように、いっも微笑むのであります。笑いたくない時でも・・・・時には、もっと不快で泣きたくなるような時でも・・・・これを覚えておいて下さい。 カブは泣きません カブたちは、いつも笑いますから、難儀な目に遭っても、苦しくても、困っても、危険に出会っても、泣きません。 いつも笑って堪え忍ぶ 大戦中、我が国の兵士や船員たちがしてきたことですから、カブもできると私は思います。 そう昔のことでもありませんが、フランシス・パルマーという、年の若い男の子がいました。ブリストル第18団のウルフ・カブでしたが、この子が自動車にはねられたのです。そして、左の脚に2か所と顔の横とに切り傷を受けました。 その少年は、本当はとても痛くてたまらないのですが、決して泣かないし痛がらないので、お医者さんや看護婦さんがびっくりしたのです。お医者の1人が、なぜそんなに強いのかと聞きますと、少年は「ぼくは、ウルフ・カブです。ですから泣かないのです」と、答えました。 >>>>目次に戻る↑↑ ●日本のカブ(カブのねらい) (訳者記、この部分英国本にないのでカナダ本から訳す) 1923年(訳者注、大正12年)9月1日の正午すぎ、恐ろしい大地震の後の横浜の、ブラッフの麓にあるレクレイムド・ランドは、倒れた家から死なずに逃げてきた人たちでいっぱいでした。怪我をしなかった人もいましたが、はとんど全部の人々は怪我をしていました。中には、ひどい傷の人もありました。 隊付のイギリス人牧師は、一番傷の重い人はないかと見回っていました。そして、みんなを元気づけました。すると突然1人の少年が、背ののびた草の中に寝ているのが目にとまりました。その少年はいったい誰だろうと、牧師さんが近づくと、少年は片方の手を上げ、力のない声でこう言いました。「ぼく、ここにいますよ。ストロングさん。他の者はみな天国にいます。」「他の者みな」とは、少年の父、母、姉、女の家庭教師、それに友だちのことなのです。後で分かったのですが、お母さんは怪我はしましたが、助かって逃げていたのでした。 この少年は、ウルフ・カブで、名をフランク・ピューリントンといいました。年は9才で、このセトルメントに住む少年の中で一席賢い子供だったのです。左右の足はパルプのように押し潰されていました。 人々は、この少年をボートに移すためやって来ました。みんなで、この少年を起こそうとしたとき、ちょっと少年はしくしく泣きましたが、彼は元気を出して「泣いちゃいけないのだ。ぼくは、ウルフ・カブなんだ。ですけれど、この腕と足は、たいへんな怪我ですから、どうか気をつけて下さいね」と、いいました。人々は静かに彼をボートに乗せ、ドンゴラの板の上に寝かせました。寝かせる時、その少年は人々に、少しでも傷が痛まないような寝かせ方を教えたのです。 あくる朝、医者が見にきた時、少年は「お医者さん。ぼくにかまって下さらなくていいです。他の人たちを、看護してあげて下さい。ぼくはもう、おしまいです。」と言いました。間もなく彼は、この世から去りました。 (訳者注) AJapanese Cubという標題になっているが、Frank Puringtonという名前からして日本人ではなかろう。おそらく、この隊は、英人のグリフィン氏が横浜に作った少年隊らしい。グリフィン氏の少年隊は1912年明治45年4月16日、B−Pが日本に来た時、横浜で出迎えている。その後1916年英国でウルフ・カブが生まれたので、同隊にもカブ隊が付設されたと考えられる。但し、日本人の少年も入隊した事実がある。 ・・・・鈴木慎君・・・・1920年の第1回世界ジャンボリー参加・・・・ さあ、ここでもう1度、お話をジャングルの話こ戻して、カー、バンダーローグのことを続けましょう。 >>>>目次に戻る↑↑ ●大ヘビ「カー」の腹へりダンス リーダーが「カー」の頭となり、パックの残りの者は、しっぽになる。それぞれ、前のカブにつかまり、頭の行く方ならどこへでもついて行く。できるだけのろのろ動き、自分の前のカブの足に歩調を合わせるのです。 頭は、静かに8字形の道すじに沿って滑るように歩く。それから、しっぽを丸く巻くのです。円はだんだん小さくなり、小さくなりきると、逆回りして、再び8字形にほぐれるのです。これはスカウトたちのいう「渦巻き」です。 どのカブも、これをしているうちは「シュッ」という音を出し続けるようにします。少しの足音もたてないように、足をすり足にして歩くのです。そうすれば、ヘビが草むらの中をのたうつような音になるのです。時々「シュッ」という声を高らかに出します。これは自分の友だちを呼ぶヘビのやりかたであります。 こうやって、カーが体を巻いたり解いたりするうちに、リーダーは、「バンダーローグだ」という号令をかけます。そうすると、たちまちカブは別れ別れになり、自分の好きな方向に駆けて行き、それぞれサルの真似をします。 あるサルは急用でもあるかのように忙しそうに、ある方向へ駆けたり、急に止まったり、座わったり、天を見上げたりします。また、あるサルは、訳もなく4つ足で踊り回る。ある者は自分のしっぽを追い回す。1匹が木の技に駆け上って木の中程に座わって引っ掻くまねをする。もう1つのサルは、8字形に駆け回る。もう1つのサルは4つ足で敵に忍び寄る真似をし、急に座わって星を見上げる。またある者は、自分のしっぽをおっかけて2、3歩あるき、藁を拾う真似をして、それを試してから、また捨ててしまう。もう1匹は、頭をつけてひっくり返り、座わって体を掻く。ある者は大事件でもあったように早足で歩いてから止まり、用事を忘れたように自分の頭を掻き、再び別の方向へ大急ぎで歩く。そんなことを2度繰り返すのであります。 本物のサルがするような、バカな真似をするのです・・・・だが、誰がしているのを見て面白がってはいけません。休むヒマなく次々とと変わった真似をします。やっていろ間、サルの鳴き声をするのです。することは全部、何の目的もないバカげた混乱状態なのです。サルの鳴き声「グールルック・グールルック・ホウ・ホウ・グールルック」を、それと同時に叫び合うのです。 出し抜けに、リーダーが「カー」と叫びます。するとサルどもは恐ろしさに震え上がります。この恐ろしい敵が何をするか、サルどもは十分に知りすぎているからです。 カーの頭になるカブは、両手を広げて立ち上がり、両手の親指を組み合わせ、頭を下げてゆっくり体をあちこちに振って立つのです。彼が1たび「シュッ」と言うと、すべてのサルは、いやいやながら前進します。カーは、どれか1匹のサルを指します。震え上がったそのサルは、カーの股の下をくぐって「呑まれてしまう」のです。そして、このリーダーの後ろについてしっぽとなります。これが、ダンスの第1部なのです。おそらく、1ダースのサルは1匹ずつ、この通り呑まれて、再びカーの体が作られるわけです。リーダー以外の者は、ゆっくり後ろに回ってしっぽになるのです。体が全部できあがると、このヘビは面白く動いて円を作ります。そして腹いっぱいごちそうを食べたので眠くなり寝ころんで寝てしまいます。 この寝かたは、しっぽの方から、やりはじめ次から次へと寝て行くのです。 カーの頭が、巻いて巻いて、巻ききる位のぎちぎちの円になると、どのカブも小刻みな歩調になってきます。一番最後のしっぽのカブが、極めてゆっくり体を沈めて寝ころぶ。そして両手で前のカブの肩を押さえて寝かします。このように次々と自分の前のカブの肩を落として寝かせ、カーの全身が寝ころぶのですが、前の3人だけは寝ころびません。この3人はカーの頭に従って一番最後者が眠りに沈むまで、しばらくゆらゆら動いて、頭があたりを見回すのを助けるのです。 (訳着付記) 故佐野常羽先生によって昭和2年に生まれた日本のカビングでは、「やくそく」を「ちかい」と名付け次の「ちかい」を決めた。 1.まこころをみがき恩に報います。 2.おきてをまもり人のためにつくします。 >>>>目次に戻る↑↑
●日本のカブ(カブのねらい) (訳者記、この部分英国本にないのでカナダ本から訳す) 1923年(訳者注、大正12年)9月1日の正午すぎ、恐ろしい大地震の後の横浜の、ブラッフの麓にあるレクレイムド・ランドは、倒れた家から死なずに逃げてきた人たちでいっぱいでした。怪我をしなかった人もいましたが、はとんど全部の人々は怪我をしていました。中には、ひどい傷の人もありました。 隊付のイギリス人牧師は、一番傷の重い人はないかと見回っていました。そして、みんなを元気づけました。すると突然1人の少年が、背ののびた草の中に寝ているのが目にとまりました。その少年はいったい誰だろうと、牧師さんが近づくと、少年は片方の手を上げ、力のない声でこう言いました。「ぼく、ここにいますよ。ストロングさん。他の者はみな天国にいます。」「他の者みな」とは、少年の父、母、姉、女の家庭教師、それに友だちのことなのです。後で分かったのですが、お母さんは怪我はしましたが、助かって逃げていたのでした。 この少年は、ウルフ・カブで、名をフランク・ピューリントンといいました。年は9才で、このセトルメントに住む少年の中で一席賢い子供だったのです。左右の足はパルプのように押し潰されていました。 人々は、この少年をボートに移すためやって来ました。みんなで、この少年を起こそうとしたとき、ちょっと少年はしくしく泣きましたが、彼は元気を出して「泣いちゃいけないのだ。ぼくは、ウルフ・カブなんだ。ですけれど、この腕と足は、たいへんな怪我ですから、どうか気をつけて下さいね」と、いいました。人々は静かに彼をボートに乗せ、ドンゴラの板の上に寝かせました。寝かせる時、その少年は人々に、少しでも傷が痛まないような寝かせ方を教えたのです。 あくる朝、医者が見にきた時、少年は「お医者さん。ぼくにかまって下さらなくていいです。他の人たちを、看護してあげて下さい。ぼくはもう、おしまいです。」と言いました。間もなく彼は、この世から去りました。 (訳者注) AJapanese Cubという標題になっているが、Frank Puringtonという名前からして日本人ではなかろう。おそらく、この隊は、英人のグリフィン氏が横浜に作った少年隊らしい。グリフィン氏の少年隊は1912年明治45年4月16日、B−Pが日本に来た時、横浜で出迎えている。その後1916年英国でウルフ・カブが生まれたので、同隊にもカブ隊が付設されたと考えられる。但し、日本人の少年も入隊した事実がある。 ・・・・鈴木慎君・・・・1920年の第1回世界ジャンボリー参加・・・・ さあ、ここでもう1度、お話をジャングルの話こ戻して、カー、バンダーローグのことを続けましょう。 >>>>目次に戻る↑↑ ●大ヘビ「カー」の腹へりダンス リーダーが「カー」の頭となり、パックの残りの者は、しっぽになる。それぞれ、前のカブにつかまり、頭の行く方ならどこへでもついて行く。できるだけのろのろ動き、自分の前のカブの足に歩調を合わせるのです。 頭は、静かに8字形の道すじに沿って滑るように歩く。それから、しっぽを丸く巻くのです。円はだんだん小さくなり、小さくなりきると、逆回りして、再び8字形にほぐれるのです。これはスカウトたちのいう「渦巻き」です。 どのカブも、これをしているうちは「シュッ」という音を出し続けるようにします。少しの足音もたてないように、足をすり足にして歩くのです。そうすれば、ヘビが草むらの中をのたうつような音になるのです。時々「シュッ」という声を高らかに出します。これは自分の友だちを呼ぶヘビのやりかたであります。 こうやって、カーが体を巻いたり解いたりするうちに、リーダーは、「バンダーローグだ」という号令をかけます。そうすると、たちまちカブは別れ別れになり、自分の好きな方向に駆けて行き、それぞれサルの真似をします。 あるサルは急用でもあるかのように忙しそうに、ある方向へ駆けたり、急に止まったり、座わったり、天を見上げたりします。また、あるサルは、訳もなく4つ足で踊り回る。ある者は自分のしっぽを追い回す。1匹が木の技に駆け上って木の中程に座わって引っ掻くまねをする。もう1つのサルは、8字形に駆け回る。もう1つのサルは4つ足で敵に忍び寄る真似をし、急に座わって星を見上げる。またある者は、自分のしっぽをおっかけて2、3歩あるき、藁を拾う真似をして、それを試してから、また捨ててしまう。もう1匹は、頭をつけてひっくり返り、座わって体を掻く。ある者は大事件でもあったように早足で歩いてから止まり、用事を忘れたように自分の頭を掻き、再び別の方向へ大急ぎで歩く。そんなことを2度繰り返すのであります。 本物のサルがするような、バカな真似をするのです・・・・だが、誰がしているのを見て面白がってはいけません。休むヒマなく次々とと変わった真似をします。やっていろ間、サルの鳴き声をするのです。することは全部、何の目的もないバカげた混乱状態なのです。サルの鳴き声「グールルック・グールルック・ホウ・ホウ・グールルック」を、それと同時に叫び合うのです。 出し抜けに、リーダーが「カー」と叫びます。するとサルどもは恐ろしさに震え上がります。この恐ろしい敵が何をするか、サルどもは十分に知りすぎているからです。 カーの頭になるカブは、両手を広げて立ち上がり、両手の親指を組み合わせ、頭を下げてゆっくり体をあちこちに振って立つのです。彼が1たび「シュッ」と言うと、すべてのサルは、いやいやながら前進します。カーは、どれか1匹のサルを指します。震え上がったそのサルは、カーの股の下をくぐって「呑まれてしまう」のです。そして、このリーダーの後ろについてしっぽとなります。これが、ダンスの第1部なのです。おそらく、1ダースのサルは1匹ずつ、この通り呑まれて、再びカーの体が作られるわけです。リーダー以外の者は、ゆっくり後ろに回ってしっぽになるのです。体が全部できあがると、このヘビは面白く動いて円を作ります。そして腹いっぱいごちそうを食べたので眠くなり寝ころんで寝てしまいます。 この寝かたは、しっぽの方から、やりはじめ次から次へと寝て行くのです。 カーの頭が、巻いて巻いて、巻ききる位のぎちぎちの円になると、どのカブも小刻みな歩調になってきます。一番最後のしっぽのカブが、極めてゆっくり体を沈めて寝ころぶ。そして両手で前のカブの肩を押さえて寝かします。このように次々と自分の前のカブの肩を落として寝かせ、カーの全身が寝ころぶのですが、前の3人だけは寝ころびません。この3人はカーの頭に従って一番最後者が眠りに沈むまで、しばらくゆらゆら動いて、頭があたりを見回すのを助けるのです。 (訳着付記) 故佐野常羽先生によって昭和2年に生まれた日本のカビングでは、「やくそく」を「ちかい」と名付け次の「ちかい」を決めた。 1.まこころをみがき恩に報います。 2.おきてをまもり人のためにつくします。 >>>>目次に戻る↑↑
●大ヘビ「カー」の腹へりダンス リーダーが「カー」の頭となり、パックの残りの者は、しっぽになる。それぞれ、前のカブにつかまり、頭の行く方ならどこへでもついて行く。できるだけのろのろ動き、自分の前のカブの足に歩調を合わせるのです。 頭は、静かに8字形の道すじに沿って滑るように歩く。それから、しっぽを丸く巻くのです。円はだんだん小さくなり、小さくなりきると、逆回りして、再び8字形にほぐれるのです。これはスカウトたちのいう「渦巻き」です。 どのカブも、これをしているうちは「シュッ」という音を出し続けるようにします。少しの足音もたてないように、足をすり足にして歩くのです。そうすれば、ヘビが草むらの中をのたうつような音になるのです。時々「シュッ」という声を高らかに出します。これは自分の友だちを呼ぶヘビのやりかたであります。 こうやって、カーが体を巻いたり解いたりするうちに、リーダーは、「バンダーローグだ」という号令をかけます。そうすると、たちまちカブは別れ別れになり、自分の好きな方向に駆けて行き、それぞれサルの真似をします。 あるサルは急用でもあるかのように忙しそうに、ある方向へ駆けたり、急に止まったり、座わったり、天を見上げたりします。また、あるサルは、訳もなく4つ足で踊り回る。ある者は自分のしっぽを追い回す。1匹が木の技に駆け上って木の中程に座わって引っ掻くまねをする。もう1つのサルは、8字形に駆け回る。もう1つのサルは4つ足で敵に忍び寄る真似をし、急に座わって星を見上げる。またある者は、自分のしっぽをおっかけて2、3歩あるき、藁を拾う真似をして、それを試してから、また捨ててしまう。もう1匹は、頭をつけてひっくり返り、座わって体を掻く。ある者は大事件でもあったように早足で歩いてから止まり、用事を忘れたように自分の頭を掻き、再び別の方向へ大急ぎで歩く。そんなことを2度繰り返すのであります。 本物のサルがするような、バカな真似をするのです・・・・だが、誰がしているのを見て面白がってはいけません。休むヒマなく次々とと変わった真似をします。やっていろ間、サルの鳴き声をするのです。することは全部、何の目的もないバカげた混乱状態なのです。サルの鳴き声「グールルック・グールルック・ホウ・ホウ・グールルック」を、それと同時に叫び合うのです。 出し抜けに、リーダーが「カー」と叫びます。するとサルどもは恐ろしさに震え上がります。この恐ろしい敵が何をするか、サルどもは十分に知りすぎているからです。 カーの頭になるカブは、両手を広げて立ち上がり、両手の親指を組み合わせ、頭を下げてゆっくり体をあちこちに振って立つのです。彼が1たび「シュッ」と言うと、すべてのサルは、いやいやながら前進します。カーは、どれか1匹のサルを指します。震え上がったそのサルは、カーの股の下をくぐって「呑まれてしまう」のです。そして、このリーダーの後ろについてしっぽとなります。これが、ダンスの第1部なのです。おそらく、1ダースのサルは1匹ずつ、この通り呑まれて、再びカーの体が作られるわけです。リーダー以外の者は、ゆっくり後ろに回ってしっぽになるのです。体が全部できあがると、このヘビは面白く動いて円を作ります。そして腹いっぱいごちそうを食べたので眠くなり寝ころんで寝てしまいます。 この寝かたは、しっぽの方から、やりはじめ次から次へと寝て行くのです。 カーの頭が、巻いて巻いて、巻ききる位のぎちぎちの円になると、どのカブも小刻みな歩調になってきます。一番最後のしっぽのカブが、極めてゆっくり体を沈めて寝ころぶ。そして両手で前のカブの肩を押さえて寝かします。このように次々と自分の前のカブの肩を落として寝かせ、カーの全身が寝ころぶのですが、前の3人だけは寝ころびません。この3人はカーの頭に従って一番最後者が眠りに沈むまで、しばらくゆらゆら動いて、頭があたりを見回すのを助けるのです。 (訳着付記) 故佐野常羽先生によって昭和2年に生まれた日本のカビングでは、「やくそく」を「ちかい」と名付け次の「ちかい」を決めた。 1.まこころをみがき恩に報います。 2.おきてをまもり人のためにつくします。 >>>>目次に戻る↑↑