スカウトに聞かせたいお話



◆第1話 ボスとリーダー
 ボスは 部下をアゴで使うが
  リーダーは 鍛える

 ボスは 権力を振りかざし
  リーダーは 仲間の自発的意志に期待する

 ボスは 「私」と言い
  リーダーは 「われわれ」と言う

 ボスは 仕事のやり方を知っているだけだが
  リーダーは やってみせる

 ボスは 「やれ」と言い
  リーダーは 「やろう」と言う



◆第2話 アイウエ王の話
 昔々、あるところにイウエオー国という国がありました。

その国の王様の名前はアイウエ王(あいうえおー)と言いました。そのアイウエ王の家来にキクケ侯(カキクケコー)という侯爵とシスセ僧(サシスセソー)というお坊さんがいました。

 この2人はチツテ塔(タチツテトー)という塔の中で悪巧みをしていました。それは、ニヌネ野(ナニヌネノ)という野原に、ヒフヘ砲という大砲を作って、王様をやっつけてしまおぅ!! と言うものでした。その悪巧みを書いたミムメモというメモを大砲屋さんに渡すように家来に命令しました。

 しかし、その家来はどんくさくて、アイウエ王側の家来に捕まってしまい、「イユエヨ!」と問いつめられて、リルレ牢という暗い牢屋に閉じこめられてしまいました。

 アイウエ王国は、再び平和がおとずれました。そして、やがてアイウエ王は年をとってしまったので、息子のイウエ王という王子に王位を譲りました。そして、みんな平和に仲良く暮らしました。

 
※ 黒板等がある場合は、赤字の文字をあらかじめ書いておいて、スカウトに1文字ずつ言わせながら、話を進めていくといいかも。

◆第3話 からだで おぼえたものは はなれない 〜サトウハチロウ〜
手で覚える
足でさとる
目にやきつける
胸にしみこます

ボーイスカウトの仕事は
すべてこれだ これなんだ

水くみひとつにも
上手下手がある
米をとぐのも
めしをたくのも
玉ねぎをきざむのも

遊び半分では
出来ない 出来ない

なれない仕事で
涙ぐむと
母の瞳が浮かぶ
力のいる仕事で
へばると
父の笑顔が見える
われとわが身を
はげましても
情けなさがあふれてきて
あたりの風景に
もやをかける

のりこえろ のりこえろ
からだでおぼえたものは
からだからはなれない はなれない

手で覚える
足でさとる
目にやきつける
胸にしみこます

満足に
つとめを果たした夜の
キャンプファイヤーの火はすばらしてい
静かにじっとながめていると
さわやかな
ほんとうに さわやかな虫の声が
首にしみこむ背中にしみとおる

 

※この詩は、NHK-TV「十代は君たちのもの」で放送されたものです。この作品は、ボーイスカウトの活動を見て作詩されたものです。

◆第4話 少年よ 小さくかたまるな −冒険と夢− 〜サトウハチロウ〜
森がある
高い木がある
のぼりたくなる

山がある
洞窟(ほらあな)がある
中へはいりたくなる

地図がある
ひたいをよせて 指でたどる
仲間と歩きたくなる

これが少年の心なのだ
ものに向かっていく少年の心
その心こそ大切なのだ

みみずばれ キリキズ たんこぶ
赤いクスリ 白いホータイ
想い出の中にうかびあがる たのしい色

少年よ
空気をかみしめながら
自分をためし 自分と戦え

少年よ
小さくかたまるな
動きがとれなくなる

のびる手がある
動く足がある
使いたくなる

するどい目がある
敏感な耳がある
ものを見きわめたくなる

冒険がある
夢がある
願いをかなえたくなる

少年よ
その中におもいきりひたり
その日その日の生活(くらし)に
すばらしい弾力をつけろ

詩集「あすは君たちのもの」より

 

※この詩は、この作品は、ボーイスカウトの活動を見て作詩されたものです。

◆第5話 「きよしこのよる」が生まれた日
 これは、オーストリアのオーベルドルフという村で、1818年に起こりました。

 クリスマスが間近に迫ったある日の午後、村の学校の校長先生グルーバーさんは、教会のオルガン奏者でもありましたから、大事なクリスマス礼拝のため、練習をしておこうと教会のオルガンのペダルを踏みました。でも、さっぱり音が出ません。調べてみると、ねずみが空気ぶくろに穴をあげたことがわかりました。すぐに修理などとてもできません。

 たいへんなことになりました・・・。

 そこへ、牧師のヨセフ・モーア先生がやってきました。

 「グルーバー先生。オルガンがだめなら、ギターがあります。これは私がつくった詩ですが、先生、ギターで歌えるように、曲をつけてください」

 その詩は、前日、モーア牧師が、あかちやんの生まれた山小屋の家族を見舞ったあと、雪あかりの中を下山したとき、あまりの静けさと、滑らかな美しさに深く感動して描いたものでした。詩を読んでいくうちに、グルーバーさんの心に、熱いものがこみあげてきました。

 ♪ きよしこの夜 星はひかり
 ♪ 救いのみ子は まぶねの中に
 ♪ ねむりたもう いとやすく
 こうして、「きよしこの夜」の名曲は生まれたのでした。

 凍りついた雪を踏みしめ、教会に集った村の人たちは、生まれてはじめて、オルガンなしの礼拝を経験しました。ところが、ギターとともに聖歌隊が歌うこの賛美歌の、シンプルな美しさに深く感動しました。

 こうして、ジレルタルの谷間に流れた「きよしこの夜」の歌は、歌いつがれて、そして私たちのもとにも届けられたのです。



◆第6話 「ジョージ・ワシントン」〜1732年〜1799年 アメリカ初代大統領〜
 その日は、寒く、北風が吹きすさんでいました。本部を出たワシントンは外套をまとい、襟を立て、肌を刺すような風から顔を覆うために帽子を深くかぶりました。全身をすっかり覆っていたので、彼が軍隊の司令官だとは、誰も気がつかなかったことでしょう!

 ワシントンが道を歩いて行くと、兵士達が要塞の防壁工事をしている所に差しかかりました。そこで立ち止まって、数人の兵士達が丸太で塀を作るのを見ていました。兵士達は重い丸太を積みあげるために奮闘していました。そのかたわらで、上官づらをした伍長が命令を与えています。「持ち上げろ! さあ、全員一緒に!」と大声で叫ぶと、兵士達は一斉に力をふり絞って押しましたが、その丸太は重すぎて、山と積まれた丸太の一番上に届きそうに思えた時に、すべって転がり落ちてしまうのでした。伍長はもう一度叫びました。「さあ持ち上げろ! どうしたんだ? 持ち上げろ、と言っているだろう!」

 兵士達はもう一度、懸命に持ちあげようとしましたが、もう少しで上に届きそうになったところで、丸太はすべり、またしても転がり落ちてしまったのでした。

 「力をこめて持ちあげろ!」と伍長が叫びました。「さあ、全員一斉に上げるんだ!」 また懸命にやってみました。そして、三度目に丸太が転がり落ちそうになった時、ワシントンは大急ぎで駆け寄り、全身の力をふりしぼって丸太を押しました。すると、丸太は胸壁の一番上にうまく転がり込んで収まったのです。汗びっしょりの兵士達が、あえぎながらもしきりに礼を言い始めると、ワシントンは伍長の方を向いて言いました。

 「君の部下達がこの重い丸太を持ち上げるのを、なぜ手伝わないのか?」 ワシントンが尋ねると「何だと?」と伍長は言い返しました。「私は伍長だぞ。おまえにはわからんのか?」 「無論わかっている!」 そう答えると、ワシントンは、外套をパッと開き、その軍服を見せたのでした。「私はただの司令官にすぎない! 今度、丸太が重くて君の部下達に持ちあげられないようなら、私を呼んでくれたまえ!」



◆第7話 カイのお話
 むかしむかし、ある村に物知り自慢のおじいさんがいました。
 「わしゃぁ、長生きしておるで、世の中のことは、なぁーんでも知っとるぞ」
いつもそう言っては村中歩き回っていました。

 「なぁ、あのじいさん、いつもエラそうなことばかり言っているけれど、あれホントなのかなぁ?」
 「さぁ、わかんないけど、ウソじゃない?」
村の子供達は、いつもそう言っていたのです。

 ある日、それを確かめようとみんなで相談をしました。そして大きな貝を拾って、おじいさんのところへ行きました。
 「おじいさん、おじいさん、この貝は何という貝ですか?」
差し出された貝を見たおじいさんは、内心は、わからないのだけれど、そこはいつも自慢している立場上、そうは言えないので、じっと貝を見て・・・・
 「これはな・・・・でっかいじゃ!!」

 子供達は「なんかウソみたいだなぁ」と思って、今度は小さい貝を拾って、またおじいさんのところへいきました。 「おじいさん、おじいさん、この貝は何という貝ですか?」
 おじいさんは、今度もわからなくてじっと考えていましたが・・・・
 「それはな、こまかいじゃ!!」

 子供達は「これは絶対ウソだ!! よし、もぅ一回行こう!!」と、今度はぐるぐる巻きの貝を拾って、またまたおじいさんのところへいきました。
 「おじいさん、おじいさん、この貝は何という貝ですか?」
おじいさんは、「しつこいガキどもじゃ、そんなもん知らんワイ!!」と、心の中で思いながらも、もうこうなったら意地です。

 「わからないんだ、やーい!!」と子供たちが騒ぎ出した時、じっと考えていたおじいさんは言いました。
 「それはな、それはなぁ、ええかげんにせんかい!!」

◆第8話 ハチとアリの拾いモノ
 ハチくんとアリくんが一緒に旅に出かけました。

 海沿いの道を歩いていると、一匹の魚がころがってはねていました。
 「あ、サカナだ!」
 とハチくんが言いました。と、同時にアリくんも「サカナだ」と言って、ハチくんもアリくんもサカナのところに駆けつけました。そして「僕がみつけた!」「いや、僕が見つけたんだ!」と言い合いが始まってしまいました。

 ところが、そのサカナが「ニシン」というサカナだということを知ると、ハチくんが言いました。
 「待て待て、アリくん。二・三が六という九九があるだろう、知ってるかい?」
 2と3をかけると6になることは、かしこいアリくんは知っていた。
 「知ってるさ、次か二・四んが八だ!!」
 と自慢そうに言った。
 すると
 「そうだね。ニシンはハチだ。だから、このニシンは僕のものさ、わかったろう!!」
 ハチくんはそう言いました。これにはアリくんも何と言っていいかわからず「チェっ」と言って悔しがりました。

 ハチくんとアリくんは、それからまた旅を続けました。今度は波打ち際にサカナが一匹打ち上げられてピンピンはねていた。
 「あ、サカナだ、今度は僕が先に見つけたゾ!」
 とアリくんがいいました。しかし、今度はハチくんが「サカナだ、僕が一等っ!」と言って、またまた言い合いが始まってしまいました。いつまでも言い合ってキリがありません。

 ところが、そのサカナがタイであることを知るとアリくんが言いました。
 「ハチくん、ありがたいって言うことを知っているかい?」
 「知ってるさ、うれしい時なんかに言うことばさ。ありがたい。」
 とハチくんがいいました。そこでアリくんがニコニコして言いました。
 「そうだろう、ありがたい、アリがタイ。わかったろう? アリがタイなのさ、ハチがタイじゃないんだよ。」
 これにはハチくんも参りました。
 「しかたがないや」と言って、そのタイをアリ君にあげました。めでたしめでたし。

◆第9話 バレンタイン
 街角では、あちこちで、バレンタイン・チョコが並んでいます。ところで、バレンタインデーって、いったい何の日? 実は、こんなストーリーがあるのです…。

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 「紀元3世紀、それは愛や富を手にすること、そしてクリスチャンであることが、とても困難な時代でした。その中に、バレンタインという若者がいました。彼は恋人を花嫁として迎えることで、その深い愛を極めようとしていました。もうすぐ結婚することになっていたのです。 ところが、バラ色だった人生が、突然、若いバレンタインの周りで音を立てて崩れていきました。ローマ皇帝が、「クリスチャンは全員、反逆罪により、違法市民と見なす!」と宣言したのです。処刑を逃れるには、ただ「シーザーこそ、わが主である!」と言えばいいだけだったのですが、クリスチャン達は、「いや、イエスこそ、わが主である!」と言うばかりでした。若いバレンタインも、キリストを否定するよりはむしろ、弾圧され、捕らわれの身となることを選んだのです。

 コロセウムでの処刑を待ちながら、牢獄で、バレンタインは恋人にラブレターを書きました。恋人への変わらぬ愛をつづった、美しく、情熱的な手紙を…。

 けれども、それはかなわぬ恋でした。夫婦として抱き合うことは、武力によって最後まで阻止され、西暦269年2月14日、若いバレンタインは処刑されました。イエス・キリストのための殉教者となったのです。

 以来、クリスチャン達は、2月14日になると、キリストへの忠誠とロマンチックな愛を祝って、愛する人に特別な愛の手紙を送ったわけです。」(スティーブン・クロッツ著)

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 でも、一見、悲劇と思えるこの話も、実はハッピーエンドなのです。

 というのも、地上では結ばれなかった二人が、天国で結ばれ、いつまでも幸せに暮らしたからです。あなたも、愛する人と永遠に結ばれたいですか? 今恋人と一緒でハッピーなあなたも、かなわぬ恋に悩んでいるあなたも、恋に無縁だと心で泣いているあなたも、愛の神のひとり子であるイエスを心に受け入れて、愛の国で永遠に生きてみませんか? 誰もが愛し合い、孤独な人などいない、すばらしい国です。

 ただ、こう祈るだけです。
「イエス様、あなたの愛の国で永遠に生きられるよう、どうかわたしの心の中に入ってください。そしてあなたの愛で、他の人を愛することができますように。アァメン。」

 この祈りを心から祈ったなら、あなたも愛の国の市民です! 天国という美しい愛の国について、もっと知りたいなら、どうぞ私達に連絡して下さい。



◆第10話 世界を変えよ!
 今朝、ラジオからとても心暖まる話が流れていました。

 それは、1913年、フランス南部のプロバンス地方で「ウォーキング・ツアー」に出かけた20歳くらいの若者の話でした。「ウォーキング・ツアー」とは、バックパックと寝袋を携帯して、人の少ない森などをハイキングすることです。おもに裏道や山道を通り、簡素なキャンプ場、ユースホステル、農家などに泊めてもらいます。

 当時のプロバンス地方はひどい田舎で、農作物の育たない荒れ地でした。森林伐採や、集約農業のやりすぎで、ほとんど木のない不毛の地と化してしまったからなのです。

 肥えた農地にするには、土地を保護する役目をする樹木もなければなりません。樹木は土壌の水分を保ち、直射日光をさえぎって、地面が乾燥してしまうのを防ぐからです。また土地の侵食、土砂の流出も防いでいるのです。木々のない地域では、雨で土壌が流されてしまい、それによって洪水が起こって、1930年代の大恐慌中に「黄塵地帯」と呼ばれたアメリカ南西部のように、不毛の地となってしまう所もあるのです。

 このフランス南部のプロバンス地方は、土地がすっかりやせてしまい、ほとんど木のない状態でした。そして土を保っておく木がないために、土壌は雨に流されていました。その地域全体が渇ききった不毛の地と化しており、農業も殆どすたれ、野生動物さえ姿を消してしまっていました。動物にも住むために安全な場所、安心できる緊みなどが必要ですが、木がなければ、雑草や低木も育たず、生きていくために必要な食べ物もなかったからです。水も必要ですが、その地域には木がなく、土地は水分を保つことができないので、ほんの僅かな流れしかありませんでした。

 というわけで、若者が旅していたこの土地は、非常にやせていて、農業もほとんど行なわれていない荒れた不毛の地だったのです。村は活気がなく、すたれ、荒れ果てていました。大部分の村人は村を捨て、他の土地へと引っ越していってしまいました。

 ある夜、この若者は羊飼いの小屋に泊めてもらいました。その羊飼いは白髪まじりで50代半ばでしたが、なかなか壮健でした。小屋は小さいながらも、きれいに片づいていて、簡素な家具が置いてありました。親切な羊飼いは、若者を暖かくもてなし、若者は何日かそこに泊まらせてもらいました。夜になると、羊飼いは、ランプの光をたよりに何時間もかけて、本の実をより分けていたので、若者は好奇心をそそられたました。カシ、ハシバミ、クリなどの実を、テーブルの上で非常に慎重かつ真剣に選り分け、質の良くないものは捨てていました。ついにその夜の仕事が終わると、羊飼いは選んだ木の実をナップサックに入れたのだのでした。

 次の日、羊の群れを連れて外に出た羊飼いは、行く先々で 昨夜の木の実を植えていくのでした。羊が草を食べている間、羊飼いは杖を取り、羊の様子に気をくばりながら、その辺りをまっすぐ歩いていきました。何歩か歩いては、杖で地面をぐっと押して、深さ数センチの穴をあけて、それから木の実をその穴に落として足で土をかぶせるのでしだ。羊飼いはまた何歩か歩くと、乾いた地に杖で六をあけ、木の実を落とすのです。こうして羊飼いは日中ずっと、羊に草を食べさせながら、プロパンス地方を何キロも歩き回りました。毎日違う場所に行き、殆ど木がない場所に、カシ、ハシバミ、クリなどの実を植えていったのでした。不思議に思った若者は羊飼に尋ねました。

 「一体何をしているんですか?」
 「木を植えているんだよ。」

そこで、若者は思わずこう言いました。
 「でも、どうしてですか? この実が育って木になり、あなたがそこから利益を得るのは、まだ遠い先の話ですよ! 木が大きくなるまで、生きていないかもしれないし!」
 「その通り。だが、いつか木は大きくなって誰かの役に立ち、この地域が前のような美しい所になる助けになるだろう。わしはそれを見ることができんかもしれんが、わしの子供達が見ることだろう。」

 若者は、実際にその成果を見たり、利益を得たりすることはないかもしれないのに、これからの世代のために住み良い土地を作ろうとする、その長期的な展望と無私の姿に感動したのでした! 羊飼いは、木が育って土地を守ることを願いながら、将来のために木の実を植えていたのです。

 20年経ち、その若者は40代になった。再びプロパンス地方に行った彼は、そこでの光景に思わず目を見張ったのです!  谷間全体が、様々な種類の木が繁る美しい森で覆われていたのでした! もちろんまだ若木で、6、7メートルしかありませんでしたが、木には違いありませんでした。

 その谷全体に生命がみなぎっていました! 青々とした草、潅木、そして動物達もいました。土地は潤い、農夫達も畑で働いていました。20年前の不毛で荒れ果てた状態と比べれば、地域全体が生き返ったかのようでした。

 「あの羊飼いはどうなったんだろう。」と、彼は思いました。驚いたことに、羊飼いはまだ生きていたのです! 20歳の若者にとって、50代の人はとても年老いて見え、もう先は長くないように思えるものですが、その羊飼いは75歳くらいで、かくしゃくとしていました。相変わらず、あの小さな小屋で、毎晩、木の実をより分けていたのでした。そして、この40代の訪問者は、最近フランス政府の視察団がパリからこの新しい森を見に来たことを耳にしました。彼らにとって、ここはまるで奇跡の森だったのです。そして視察団は、この谷間と地方全体が美しい若木や草に覆われたのは、この一人の羊飼いが、何年にも渡って、来る日も来る日も羊を見ながら、休むことなく、カシ、ハシバミ、クリなどの実を植えていた結果だということを知ったのでした! 彼らは非常に感銘を受け、またその羊飼いに深く感謝したので、たった一人でこの地域全体に緑をもたらした功績を称えて、羊飼いに特別年金を与える事をフランス下院議会で決定したのだでした!

 一人の人のひたむきさによって、この地域全体がよみがえりました。再び美しい場所となり、経済が復興し、野生動物や、農業、水、土壌も復活したのです! 人口まで増えました。何もかも、木が育ったおかげなのでした。

 だから、世界の現状にがっかりすることがあっても、決してあきらめてはいけないのです! 大きな国々の政府や軍隊や戦争によって、歴史の流れや世界の状況が変わっているのを見て、がっかりすることもあるだでしょう。「ああ、私などつまらぬ存在ではないか? 何ができるというのか? お先真っ暗で、できる事など何もないみたいだ! たった一人で世界を良くするためにできることなんて何もない。だから努力しても、何になるだろう? 何をやっても無駄だ。」そして、世界がどうなろうと構うものかと、あきらめてしまいたくなる! 時に、こんな世界は破滅して当然のように思われるからです。

 しかし、この素朴な羊飼いが何十年にも亘る努力によって証明したように、たった一人でも世界を変えることができるのです!  世界全体を変えることはできないかもしれませんが、自分がいる部分は変えることができるのです。この一人の羊飼いは来る日も来る日も、何年も何年も、忠実で犠性的な働きをしたことで、南フランスの全地域を完全に変え、よみがえらせたのです!

 もし一つの人生を変えたなら、世界の一部を変えたことになります。これは、世界全休も変わる望みがあることを証明しているのです! 一つの人生を変えられるなら、もっと変える事ができ、多くの,人生が変わり、地域全体がよみがえり、ついには世界を変えることができるという可能性を示しているのです。それも、誰か一人の人が始める事で。

 それはあなたかもしれない!