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約7年前、第4回日本ベンチャー大会の会場で僕はタイから来たスカウトと英語でコミュニュケートしました。当時僕は高校の英会話の授業をオーストラリア人の先生から教わっていて、そのおかげでその時タイのスカウトと意思の疎通を図ることが出来ました。その時に彼らとは家庭環境、学校教育、お互いの将来構想などを話しました。当時の僕は決して真面目な高校生ではなかったのですが、英語だけは勉強していて、それが初めて役に立った事により夢中になって僕は彼らとお話ししました。彼らも彼らで英語が話せるスカウトに飢えていた様で、夢中で話してくれました。30〜40分話したでしょうか。別れ際彼らが僕に「何年後になるかわからないけど近い将来僕らの国で世界ジャンボリーが開催されるから来て参加してよね。」と言ってくれました。その時僕は軽い気持ちで「ウンいいよ。きっと行くよ。」と返事をすると「約束したからね。」と言われたので「ウン約束。約束。」と答えてしまいました。別れの時、彼らは「See you again!」と言ったのに僕は「Good bye!」としか言えませんでした。よく意味を考えて『はっ』とした時には既に彼らは見えなくなっていました。
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7年後の僕は彼らの顔を覚えていません。
- この7年の間に僕は色々なスカウト活動をしてきました。ローバーとして、指導者として数々の大会の奉仕をしたり、原隊指導者にもなりました。そして、県連の委員にまでなることが出来ました。決して出世欲があったわけでも、野心を抱いていたわけではありません。でも、気付いたら「石田。お前タイの世界ジャンボリーにリーダーで行かないか?」と誘われていました。誘われた当初は、あの大切だったはずの[約束]の事などすっかり忘れてしまっていたうえ、僕にとってはそれ以上に金銭的な事、時間的な事などを考えると今回の世界ジャンボリー参加は難しく思われました。
僕はここ数年アメリカへ、夏の終わりにホームステイをしに行くのが恒例化していました。今年もアメリカに行こうと思い初夏の頃ホストファミリーに電話をしたのですが、「今年の夏は家族でバカンスに行くから日程調整が大変かもしれないわ。」とアメリカのママに電話で言われました。大阪の日本ジャンボリーもある事だし、「じゃあ今年の夏は行かない事にするよ。また来年かな。」と言って電話を切りました。『アメリカに行かないとなるとお金に余裕ができたのかなぁ?・・・となると世界ジャンボリーに行けるかな?』という考えが起こってきました。
その時も週末になると県連に行く度に「石田タイに行かない?」と言われ続けていました。そのぐらいの時からあの[約束]を思い出し、少しずつ世界ジャンボリーを意識し始めました。そして大会の期間が年末・年始という事もあり、遂に「僕なんかでよければ行かせて頂きます。」と返事をする事が出来ました。
- 思えば、自分自身のどこかで[約束]を意識して県連で実力ではなく運だけでキャリアアップしてきたのか?運命の悪戯なのか?それともただの偶然なのか?僕にもよくわかりませんが,誠実に約束を守れる事になった、スカウトとしての自分がとても嬉しかったです。こういう事を名誉という価値観ではないのかと僕は思います。
- 大阪の13NJ。灼熱の会場で初めて園部隊長に会いました。第一印象は『優しそうなおじさん』。「よろしくお願いします。」とお互いにあいさつを交わし連絡先を交換しました。大阪では直属のボスがやり手でいい人だったので人使いも荒くなく、僕にとってはすごく楽なジャンボリーでした。県連の人とボスに「世界ジャンボリーの他のリーダーはどんな人なのですか?」と聞くと僕のまだ会った事の無いスガマ副長の事を「女性リーダーなのだけど、アイツはイイよ〜。」と言われ、「イイよ〜」のトコロはおじさん二人がハモっていたので、『え?どうイイのかなぁ〜?』と意地悪クイズを出された気分でしたが、お二人には「イイんですね〜。」と相づちを打っておきました。
- 名簿で名前と年齢と所属はわかっていたのですが、『容姿がどんな人なのかな〜?』などと当時は色々と想像していました。
- 13NJも終わり、ローバーの活動が多少忙しくなっていた時に第一回の20WJ茨城隊指導者ミーティングがありました。その時に初めてスガマ副長と今井副長に会いました。
まず、スガマ副長の第一印象は・・・?良い意味で『ん〜普通のお姉さんだなぁ。良かった。良かった。』終わってから言える事ですが、男性の指導者の立場から言うと『こ〜あまりにも美しくなさすぎると指導者としての任務にやる気が起こらなくなり隊の任務に差し障りあるし、こ〜あまりにも美人すぎてもジャンボリー病に冒されて指導者としての仕事が手につかなくなる危険があるし。良かった。良かった。』ジャンボリー病と言うのは僕の造語で、街で会っても平気なのに、キャンプをしている時に会うと恋をしてしまう病の事で、世界ジャンボリー会場にもリーダー、スカウト関係なく超ラブラブな人達が見受けられましたが、ああいった症状になります。僕も過去何度か病に冒されて苦労した思い出があります。
次に今井副長ですが、彼はこ〜『髪の毛赤いし、ひょろっとしてるし、本当に大丈夫かなぁ〜?』」と思いました。お二人(スガマさん・今井君)から僕の第一印象を聞いたら「サングラスしてタバコを吸っていたから、【怖い人】かと思いました。」と言われました。ただ、サングラスしてタバコ吸っていただけなのに。
- スガマさん。今井君ごめんなさい。やはり第一印象というのは見た目だけで人を判断しているだけであって、一緒に活動をしてみて、スガマさんは魅力的で働き者でしたし、今井君は頼れるスカウト上がりのリーダーでした。
- 第一回の事前訓練の時は上班を中心に班編成や隊の規律、ヨサコイソーラン節の練習などをして無事に終わり、第二回もあまり支障もなく終わる事が出来ました。
出発3日前に結団式・壮行会を青少年会館で行い、いよいよ本番へ。
- それ以前に隊装備の買出しに副長3人と隊付で行ったりしていたんだよ〜。
- 12月24日[クリスマスイブ]
代々木のオリンピックセンターに集合し、それぞれの大切な時間を費やして事前訓練が始まり、さっそく茨城隊のスカウトに多数の遅刻者が出ました。『たるんでいる』と思いましたが、あえて厳しい指導はしませんでした。
代々木では2泊して、その間に事前にやるべきことをやっていたはずでした。26日・朝の成田発の便でタイへ出国し、常夏の国タイランドへ。
行きの飛行機の中でたまたま席が近かった日本連盟の派遣団本部のおじいちゃん達数名があまりにも態度、素行、言動などかなりひどかったです。『あんな大人にはなりたくないなぁ。』と思いました。
タイに到着してからはすぐにバスでホテルに向かい、チェックインして夕食。スカウト達を寝かせてから今井副長と二人でホテル近くのコンビにまで行こうとしていると、ホテルの外でタクシーの運転手に呼び止められて「きれいなお姉さん達がたくさんいるところまで行こうよ!」みたいな意味のタイ訛りの英語で誘われてわれてびっくりしました。買うものを買ってさっさとホテルの部屋に逃げ帰りました。
翌日の27日、朝食後にホテルをチェックアウトして再びバスにのりバンコクの市内見学をしました。エメラルド寺院、ねはん寺、旧王宮を熱帯性気候の中見て回り、見学するだけでも一苦労でした。午後からは、いよいよ世界ジャンボリー会場に入場。その後設営をしました。
サブキャンプの我々日本隊のキャンプサイトは砂地で、ビーチまで70〜80メートルの場所にありました。話を聞くだけなら良い場所に思われるかもしれませんが、実際生活してみると、まるで砂漠でキャンプしているようでした。そしてこの日から僕のベッドでの野宿生活が始まりました。夜は適度に涼しく星を見ながら寝るには最高でした。
- ここまで来るのにもかなり大変だったのに、本番はこれからです。
スカウト達が疲れているのは当然で、リーダー達はそれ以上疲れていたはずなのに、自分の事を後回しにしてスカウト達のために働いていました。こんな事言うべき事じゃありませんが、その事をわかっていないスカウトが多すぎたと思います。そしてこの為に何人かのリーダーが倒れる寸前まで働いてしまった気がしました。
- さて、会場に1泊した訳ですが、翌日28日のプログラムは夜に行われる開会式だけでした。
不完全だったキャンプサイトを整備して、少し余裕が出てきたので、僕は希望者だけを海水浴に連れて行くことになりました。
他のスカウトはサイトで休んだり、買い物に行ったりしました。タイの海は日本の海とは比べ物にならないくらい美しく温かかったです。海水はかなりしょっぱかったけど、『スカウトリーダーで来なければ良かった〜』と少し後悔する程、男にとって目の保養になる光景が広がっていました。スカウト達の安全が最優先なので様子を見ながら少し泳ぎました。
その後僕はサブキャンプのリーダー会議に出席して、夕食後いよいよ開会式が始まります。しかし、昼間海水浴をしたスカウトと、大会前から体調を崩していたスカウトがダウンしました。2人はテントサイトに残って休んでいる事になり、付き添いとしてセレモニー嫌いの僕が残る事になりました。2人と一緒に休んでいると、警備要員スタッフ(セキュリティー)が見回りに来て「ナンデ開会式二出ナインダ?」と聞かれ、事情を説明すると「ソレナラ診療所二連レテ行コウ。」と言う事になり、2人のスカウトを半強制的にビレッジの診療所(クリニック)に連れて行く事になりました。
ビレッジと言うのは8つのサブキャンプの事で、各ビレッジごとにクリニック、スーパーマーケット、公衆電話ブース、オフィスなどがありました。クリニックに着くとタイ人の医者や看護婦達が、僕にとってタイ訛りの理解しがたい英語で「症状ハドウナンデスカ?ドコノサブキャンプデスカ?」などと僕に質問攻めでした。『当人じゃないんだからそんなに詳しくわからないよ。しかも英語の発音めちゃくちゃだし。』と思いましたが、ゆっくりと話しているうちにお互いにやっと理解してスカウト達の症状を説明し終わると、今度は「2人トモIDカードガ無イノデスガドウシマシタカ?」と聞かれ、本人に聞くと二人とも「テントに置いてきた」と言うので、仕方なく自分達のテントサイトまで僕が取りに行く事になりました。
冷房の効いたクリニックの外に出ると、遠くで行われている開会式の楽しそうな音楽が聞こえてきていました。まずサブキャンプのスタッフに事情を説明してからサイトに戻り、テントの中にあるIDカードを探して、1枚は発見。しかしもう1枚はなかなか見つからず、そうこうしているうちにまた、今度は別のセキュリティーが巡回してきました。『あっ。もしかして今オレってすごく盗っ人っぽいよなぁ?』と思っていると、案の定「アンタソコデ何シテルンダ?」と言われ、「ぼ、ぼ、僕はこ、こ、このサイトのリーダーで、スカウトがクリニックにIDカード忘れて行ったから探しに来たんだ。」と、なかなかの挙動不審ぶりを発揮ながらも事情を説明して何とか難を逃れました。
セキュリティーが立ち去ってからもIDカードを探しましたがとうとう見つからないので、とりあえず1枚を持って再びクリニックへ。1人は既にベッドに寝ていて、今夜は入院決定。もう一人は何とか動けそうなので一緒に戻って今夜はサイトのテントに寝る事になりました。調子の悪いスカウトを休ませてイスに座ってグッタリしていると、隊長が十数人の疲れたり、空腹になったスカウト達を連れて戻って来ました。早々に食事をさせて、シャワー、トイレに行かせて、休ませる事にしました。そうこうしているうちに残りのスカウト、副長達が戻って来ました。彼らにも食事をさせて、班長会議を行い翌日のプログラム説明や、伝達事項を伝えてから、その後リーダー会議を行い本日の反省や病人の状況、翌日のリーダーの役割分担などをして、やっと2日目の任務終了で〜す。
- 始まったばかりなのに既にスカウト達に環境の急変や、暑さによる疲れが目だってきていて、それに加えてリーダー達は睡眠不足で『これは僕自身相当な綱渡りをして自分の体力をセーブしつつ隊、他のリーダー達を支えていかないといけないなぁ』と思いました。
ましてそれでいてスカウト達には自分の弱い部分やエゴを見せる訳にもいかないけど、本心は『ビーチで遊びまくって、ビールしこたま飲みまくってから涼しい部屋で長時間眠りたいぞ〜』と思っていましたよ。
- 各サブキャンプには喫煙所があって、愛煙家の僕は時間を見つけては喫煙をしに行っていました。
ただ、喫煙所では、男女を問わずイギリス、フランス、ベルギー、アメリカの見た目かなりの不良といった感じの一部のスカウト達が喫煙しに来ていました。『お国柄なのかな?』と思って見ていましたが、僕がリーダーだとわかる服装で喫煙所に行くと、場の空気が少し張り詰めました。
でも、スタッフともスカウトましてリーダーともわからない様な服装で行くと彼らはかなりフレンドリーに接してくれました。『そういえば僕自身オトナに色々と束縛されて、それに反感を持っていたっけな。』と思うと同時に『彼らはきっと僕に英語が通じないと思っているな。』と思いながら、ティーンエイジャーの英語での会話を聞いていまた。
ある時ものすごく面白い話をボーイズが話していて我慢できずに一緒に笑ってしまいました。それ以来彼らとは会うたびに挨拶を交わすようになりました。『見た目が多少おかしくたって、タバコを吸うからといったって、みんなイイ奴らなんだな。』と思うとともに少し嬉しくなりました。彼らが話していたのは「どこの国の女の子が胸デカイ?」という話だったのですが、『やっぱり国は違えど若い男が考える事は同じだなぁ。健康でよろしいじゃない。』と思いました。
- 翌日29日は6時起床。でも無理。低気圧じゃなくて低血圧な僕はなかなか起きられずやっと起きると、既にスカウト達は朝食を食べていました。
今日のプログラムは場内プログラムで、午前はシティーオブサイエンス。午後はトーナメンツ。夜のプログラムはサブキャンプのステージでヨサコイソーラン節を踊る事になっていました。
スカウト達をサイトから出発させたら本来はリーダーの休憩時間のはずなのに、仕事はなかなか無くなりませんでした。
まずクリニックに行き、入院していたスカウトの様子を見に行き、一晩涼しい所で寝たせいもあって何とか退院できる事になり、テントサイトに送り届けて休ませて、それからサブキャンプのオフィスに今後の予定の確認に行って、リーダー会議の時間やナイトプログラムの確認などをして、やっと喫煙所で一服出来ました。
その後、昼食のランチボックスとペットボトルの水の配給を取りに行き、スカウト達が午前のプログラムを終えて戻ってくるのを待っていました。
しばらくするとスカウト達が戻って来たので班ごとに昼食を取らせました。午後のプログラムは選択プログラムで参加しなくても大丈夫だったので、スカウト達の疲労を考え、隊長判断で班ごとに自由行動にしました。3つの班はプログラムに参加せずに夜のソーラン節に備えて休む事になり、1班は場内の探索に出かけました。
隊長は、隊の日誌を日連の派遣団本部へ届に行きました。僕は疲れたので木陰で昼寝をしていたのですが、スガマ副長に意地悪されて、変な日焼け痕を付けられそうになりました。『アブナイアブナイ。』
その後、各班で夕食を作らせて食べさせてナイトプログラムに備えさせ、僕自身はサブキャンプのリーダー会議に参加しました。
会議は3つあって、隊長会議、プログラム会議、サブキャンプ生活会議が時間差で行われていてその時間を合計すると1時間30分〜2時間30分と、日によって長さは違いますが、僕にとっては英語の講義を受けている感じで、まず100パーセント理解できるはずも無く、会議(講義)が終わってからマンツーマンで解らなかった事をサブキャンプスタッフに質問し、確認してから自分のキャンプサイトに帰って英語で聞いてきた情報をリーダーや上班・隊付・班長達に日本語で伝えるのが常でした。
キャンプサイトに戻ると、スカウト達は既にナイトプログラムで踊るヨサコイソーラン節の準備をしていました。僕はすぐに伝えなければいけない情報だけをリーダー達に伝達してから、用意されていた夕食をすぐに食べてナイトプログラムの行われるサブキャンプのステージに向かい、スカウト達に「音響装置の確認や、何番目の出番か、配置はどうか」などの指示を出しました。
いよいよ日本グループの番になりました。茨城隊は事前に完璧に練習できていた訳ではなかったのですが、僕の目から見ても、「すばらしい踊り」といえる舞いでした。
1回目の踊りが終わり、各国のギャラリー達から拍手喝采が起こり、2回目には一緒に踊る海外のスカウト達が出る程の盛り上がりを見せて日本(茨城)隊の出し物は終わりました。終わってから約1名のスカウトが張り切りすぎたせいか、血圧が上がったせいか、鼻血を出しましたが、それ以外は問題なく終わりました。
その後は、他国のスカウト達の出し物を見ていたりしていたのですが、日本(茨城)隊のスカウト達は、タイのスカウト達から「写真を一緒に撮って下さい」とのリクエストに答えていました。そんな風景をギャラリーしていると、スガマ副長が「スカウト1人の鼻血が止らないのでクリニックに行って来ます」という報告を受けましたが、既に相当疲れていたので鼻血のスカウトは彼女に任せる事にしました。
ナイトプログラムが終わり、スカウト達の興奮を冷ますために、シャワーに行かせてから班長会議、班会議を行い、さらにリーダー・上班・隊付とリーダー会議を行いました。
隊長が日連の派遣団本部から仕入れてきた情報によると、大阪の1隊が数名を残してインフルエンザにより全滅したそうでした。『戦争じゃないんだから』と思いましたが、その後、翌日のプログラムの内容や、注意事項等をブリーフィングして本日の業務終了!です。
鼻血のスカウトもサイトに戻って来たし、取あえず問題なく本日は終われた感じでした。スカウトの消灯時間後やっとリーダーの自由時間となり、僕はサブキャンプスタッフや他隊のリーダー達とお話をしたりシャワーを浴びたりする事が出来ました。
SCスタッツフとの楽しいお喋りをしてからトイレに行って、流しで手を洗っていると夜中にも関わらず、いつもスガマ副長が手洗い場で洗濯をしていました。何度か流し台で色々とお話をしましたが、『女の人の小さい体で、この過酷な状況で頑張ってくれてありがたいなぁ』と思いました。
- 今だから言えることなのかもしれないけど、自分の、自分のためだけに使える、限られた時間を有効に密度の濃いものにしたかったから、本当に寝る間も惜しんでお話したり、他国の人々と交流したりしました。そのかわり朝は本当に起きるのがつらかったです。
- サブキャンプのスタッフは6人いて、サブキャンプディレクターでタイの女性リーダーピトゥン、サブキャンプライフの担当でイギリスの男性リーダーマーク、プログラム担当でフランスの男性リーダーショーン、配給担当で韓国の男性リーダーフィル、総務担当のイタリアの女性リーダーマルタ、同じく総務担当でタイの男性リーダーノムがいました。
僕は基本的にマークやピトゥン、ノムと放す機会が多く彼らも気兼ねなく僕と話してくれました。
- 翌日の30日起床は6時って事になっていましたが、起きられません。
朝食後に隊で朝礼をして、プログラムに行く前にサブキャンプの朝礼に出ました。
本日のプログラムは[我々の遺産]という場外プログラムでした。ワニ園見学や動物園見学など楽しそうなプログラムだったのでした。本来は1班に1人リーダーが一緒に行動しなければならなかったのですが、再び、スカウト3人が風邪の症状を訴え始めていたので仕方なく、僕が彼らに付き添う事になり、代わりに僕の役割を上班にしてもらいプログラムに行ってもらう事になりました。
3人をクリニックに連れて行き診察してもらい1人は入院、2人はテントで休む事になりました。昼食を食べていると、SCスタッフのピトゥンが「金券のチケットを持ってクリニックに行って下さい」とわざわざ我々のテントサイトまで来て伝えてくれたので、早速スーパーマーケットで食料が買える金券チケットを持ってクリニックに行くと、看護婦が「入院しているスカウトの食事をここで用意出来ないので金券チケットを持ってきてもらいました。我々が預かって彼らの食事を買ってきて与えます。」と言われたので「よろしくお願いします。」と言って、再び自分のサイトに戻りました。
戻っている途中、携帯電話が鳴り、見るとスガマ副長からでした。出てみると「キャー!すごい・すごーい!」などと歓声が聞こえてきました。『間違えて掛けてきたのか。ヤレヤレ。』思わず立ち尽くして電話を見つめ2,3度首を振ってしまいました。
テントの中で寝ていたスカウトに対して「大丈夫か?」と聞いてみると1人から「あまり良くありません」という返事が返ってきたので、再びクリニックへ連れて行くことに。
クリニックに連れて行くと「このクリニックでは手に余りますのでジャンボリー病院に移しますが良いでしょうか?」と聞かれ、これ以上悪くなられても困るので、隊長の許可なしに「お願いします。」と言って2人を病院へ運んでもらう事になりました。
僕は「まだ1人テントに残っているスカウトがいるので一度テントに戻って事情を説明してから病院に行きます。」と話をして、まず2人を救急車で病院に運んでもらい、自分のサイトに戻って残っていたスカウトに事情を説明し、「何かあったらSCスタッフがいるオフィスに行きなさい」と指示してからSCスタッフのオフィスに行き、事情を説明すると「わかりました。それにしてもアナタ今日は忙しいね。」と、ピトゥンに言われたので「病院プログラムってあったっけ?」と彼らに冗談を言って、一路ジャンボリー病院へ。
途中隊長に携帯電話で連絡を取って状況を説明、報告してから病院に着くと、彼らは冷房の効いた病室で休んでいたので安心しました。1人はクリニックの看護婦から金券チケットを返してもらって、もう1人には渡していなかったので、僕から金券チケットを渡して病院を離れました。
疲れたので、帰りにスーパーで飲み物・食べ物を買って、SCスタッフのオフィスでお話をしながら食べて、自分のサイトでグッタリしていると、皆が班ごとに戻って来ました。
戻ってきた隊長に改めて入院したスカウトの報告をしてから僕はSCのリーダー会議に出席しました。会議が終わってから、理解出来なかった部分を質問して、喫煙所でタバコを吸いながら自分なりに内容をまとめてサイトに戻り、夕食後の班長会議で各班班長・上班・隊付・リーダー達に伝達事項を話して、その後、班長たちは班会議で班員達に伝達事項を伝えて、班会議と同時進行で行われるリーダー会議が終わると、その日はナイトプログラムが無かった為、その後は隊長判断で班ごとに自由時間になりました。
僕・隊長・スガマ副長の3人は入院しているスカウト達の見舞いに行くことにしました。その時にスガマさんに「昼間スガマさんから電話がかかってきて、出ると『キャー!すごい・すごーい!』と叫んでいましたが何がスゴかったんですが?」と聞くと、「ゴメンなさい。像がスゴかったんです。」と彼女が答えました。
ジャンボリー病院の中は涼しくて、その時の僕は『10秒目を閉じれば寝れる』と思うほど疲れている事に気づきました。
2人のスカウト達の様子はそれ程悪くはない様に見えたので、安心して病院を後にして3人でもと来た道を引き返しましたが、隊長とスガマさんは寄るところがそれぞれあった様なので、ぼくは1人でサイトに戻りました。
サイトに戻ると上班と隊付が僕に「もう一人の隊付が女子テントの中で女子スカウトと二人きりで話しをしてるいんですけど、これって有り得ないですよねえ」と言ってきたので『何ぃ?ふざけてんじゃねえぞ』と思い、怒りによって血圧が上がるのがわかりました。その隊付はここに来て目に余る行動が目立ってきていたので、それも含めて本当はテントから引きずり出して殴り倒しても良かったのですが、僕自身相当疲れていたうえ、隊長に無断で行動するのはまずいと思い、イライラしながら隊長の戻るのを待ってその事を報告しました。もちろん隊長も怒りましたが、手は出さずに言葉で厳重に注意したようでした。
その夜僕は腹が立ったまま悶々としてなかなか寝付けませんでした。『今井君も疲れてきているし、隊長も同じだろうな。スガマさんに至っては相当ヤバイなぁ。寝ながら咳き込んでるし。』そんな事を考えていると、ザッ・ザッ・ザッとサイトに近づいて来る足音が聞こえてきました。『誰かトイレでも行ったのかな?』と思って「どうした?」と声をかけてみると「病院から戻されました」と入院しているはずのスカウトがいました。
「大丈夫か?」と聞くと「僕は大丈夫ですが彼が。」
『そういえば2人だった』と思い出し、もう1人に「大丈夫か?」と聞くと「ダメです。」と答えられ『何なんだ?何のための病院なんだ?どーなってんだ?』と僕はまたも怒り心頭。比較的大丈夫そうなスカウトを椅子に座らせて休ませ、具合の悪い方のスカウトはイスをつなげさせて横にならせて、そのままSCスタッフのオフィスまで猛ダッシュ。オフィスには誰もいなかったので、僕がたまたま知っていたマークの寝ているテントに行ってマークを叩き起こして「病院に入院していたはずのスカウト達が病院からこんな時間に戻されて、1人がまだひどい病気で苦しんでるんだ。救急車を呼んで。」と、怒っていた僕は半ば命令するようにマークに本部に電話をかけさせました。「手配した」とマークが言うとすぐにサイトに戻って具合の悪いスカウトのそばに行きました。
彼の症状は見た目でもかなり悪そうで、本当は起こしたくない隊長を起こさないとまずい状況になっていました。仕方なく他の誰も起こさないように隊長だけを起こして救急車を待ちました。
少ししてマークとピトゥンが様子を見に来てくれましたが、隊長も怒り心頭の状況で、怒りをどこかにぶつけたい様子でした。我々のキャンプサイトは砂地のため、救急車が直接来れないとの事で何人かの医者、看護婦、看護士達が担架を持ってサイトに来ました。その時には既にスカウトの容態はかなり悪化しており、自力で歩けないほどになっていました。スカウトを担架に乗せて救急車まで運ぶ時に1度スカウトが嘔吐しました。「がんばれ」としか言えない悔しさと同時に『全く何なんだここは』と思っていました。僕は一緒に救急車に乗り込んだのですが、救急車の中で看護士達が何やら大きな声でタイ語で話しをしています。僕も経験があるのですが、調子の悪いときに訳のわからない言葉を聞いていると、よけいに調子が悪くなるもので、「静かにして下さい」と英語で言っても通じません。『看護士なら英語ぐらいわかれよ。タコ。』と思い、『黙っとけ![シャラップ]』と英語で言うと、英語の意味より声の大きさにひるんだ様で少し静かになりました。まずクリニックで診察を受け「海軍病院に搬送します。」と言われたので隊長と相談して僕が海軍病院まで付き添う事になりました。
しかし、海軍病院に入院するにはパスポートが必要らしく、パスポートはビレッジのオフィスに預けていたため、スカウトのパスポートを回収するためにビレッジのオフィスのスタッフを叩き起こして理由を説明して何とかパスポートを回収しました。そしてそのまま僕はスカウトとクリニックの看護婦さんと救急車で海軍病院へ行きました。救急車の中はかなり冷房がかかっていてスカウトが「寒い」と言うので窓を開けてもらい約20分位で海軍病院に着きました。
着いてすぐに診察してもらい、その間に受け付けをするために一瞬だけスカウトのパスポートを貸してすぐに回収しました。その後は看護婦さんと話をしていました。彼女の英語の発音はなかなか聞き取りやすく、話していて少し気が楽になりました。診察が済むと医者が「呼吸音に異常があるので胸の検査をします。」と言われ、僕は「お願いします。」としか言えませんでした。再び待つ事約20分。やっとスカウトを乗せたストレッチャーが戻ってきました。医者が看護婦さんにタイ語で、看護婦さんが英語で僕に、僕が日本語でスカウトに「今日はここに入院してもらいます。リーダーには帰ってもらいます。」という事を伝言ゲームの様にして伝えました。ただ、スカウトは相当調子悪そうにしていたので本当に心配でした。しかも調子悪そうなのにも関わらず海軍病院の看護婦達はスカウトに対して「ここにサインしろ」と何度も何度も違う書類をスカウトに差し出します。それに対してまたも『何なんだここは?これじゃあ病人いじめじゃないか。』と思いました。
僕は気を静めるためにもタバコがとても吸いたかったのですが、不謹慎かと思い何とか我慢しました。スカウトを海軍病院にお願いして、乗ってきた救急車で看護婦さんとジャンボリー会場にの戻っている途中、冷房が心地よく寝そうになっている僕に看護婦さんが「あなたもかなり疲れているみたいだけどいつでもクリニックに来ていいですよ。」と言ってくれました。僕は「ありがとう。本当はそうしたいけど無理ですね。だってリーダーだから。気持ちだけ受け取ります。ただ、今だけは寝かせてください。」と英語で言うと彼女は笑って答えてくれました。
クリニックまで乗せてもらい、救急車が戻ってきたのに気づいた隊長がすぐに来てくれました。「スカウトは呼吸音に異常があって胸の検査をしてそのまま海軍病院に入院です。」と報告をすると「すぐに休んで」と言われましたが、とにかくタバコが吸いたかったので「1本吸ったら寝ます。と答えて喫煙所へ。その後自分のベッドに横たわって時計を見ると5時20分。本日23時間労働?って感じでした。
- 今回、僕は世界ジャンボリーで恨まれ役の鬼副長を演じていたつもりですが、果たして成功だったのかそうでなかったのか?
参加したスカウトが僕の事を『嫌な奴』と思ってくれれば成功なのかな? でもそれに以上自分で言うのもなんですが、自分自身マゾかと思うほどの自己犠牲があった様な気がします。
プログラムには1度も出ず、誰より遅くまで起きていてスカウトの人数確認などをしました。それでいて果たして僕と同じようなリーダーとなって、ある意味スカウトに嫌われ、スカウトの為に自分の事を後回しに、スカウトがいかに楽しめるか考え、自己を犠牲に出来るか?僕としては10年後がとても楽しみです。かつていろんな場所でお世話になったリーダーの方々もきっとこんな心境だったのかなぁ。果たして僕はリーダーとしてこれで良かったのかなぁ。
翌日31日[大晦日]
『暑い。何時だろう』いつの間にか太陽が高く上がっていて日なたに寝ている自分に気づいて『またスガマさんに意地悪されて変な日焼けさせられてるかも』と思って一気に目が覚めした。
10時前。「おはようございます」とスガマ副長に言われ「おはようございます。こんな時間まで寝ていてすいません。何かイタズラしました?」と聞くとキョトンとした顔で「隊長命令で『何があっても起こすな』と言われていたので何もしてませーん。」と言われました。僕は、あえて『あなたのイタズラが怖くて寝ていられませんでした』とは言いませんでしたが。隊長は既に海軍病院に行った様した。今日はプログラムが特に無く、昼食の時に日本食をサイトに来た各国のスカウトに振舞うというものだけでした。スカウト達もその準備を少しずつ始めていて、僕も朝食?を食べた後スカウト達に席のレイアウトや出す料理の指示、サイトの飾り付けの指示などをしました。
そしていよいよお客達がやってきました。我々が用意したのは磯辺焼と味噌汁、緑茶と親子丼でした。中でも一番の売れ筋は磯辺焼でスカウト達が汗だくになって焼いてもすぐに無くなってしまうほどでした。もちろん我々だけが料理を出す訳ではなく他のサイトでも各国の料理が食べられた訳で、スカウト達は班ごとに順番で食べに出かけていました。
そうこうしているうちに隊長が海軍病院から戻ってきました。「インフルエンザみたいだって言っていた。点滴しているんだけどあと2日位は様子を見ないといけないって。」と言われました。『どこから感染したのかなぁ』と思いつつも心配でした。午後からはスカウト達は自由時間で、それぞれ物々交換をしたり、買い物に行ったりとそれぞれが楽しんでいました。
その後、僕はSCのリーダー会議に出席しました。大晦日と言う事もあり夜にはパーティー、カウントダウンなどの催しがありその内容説明が主でした。サイトに戻ると、スカウト達は夕食の弁当を食べていました。僕は班長・上班・隊付・リーダーと班長会議を始め、今夜のイベントの説明などを行いました。夕食後スカウト達は仮眠を取ってカウントダウンのイベントに備えることになりました。
夜が更けると、次第に楽しげな音楽がビレッジの方から聞こえてきました。数名のスカウトと問題の隊付が「寝なくても大丈夫」と言ってお話をしていたので『その楽しさがわかるから』あえて何も言いませんでした。そしてしばらくすると、「ビレッジに踊りに行ってきていいですか?」と聞かれ、隊長がいないときに許可するべきかどうか悩みました。しかし問題の隊付をテストするためあえて行かせました。と言うのは、昨日の女子テント事件から一夜明けても反省の色が無く、班長会議では寝ているし、食事は彼が一番先に食べるし。『3ストライク・アウト』で言うと、まだ彼はアウトではなかったので、隊付に「門限は11時半。トラブらない、女子に手を出さない出させない、時間厳守。」の3つの約束をさせてあえて、隊長に無断で行かせました。『かなりの綱渡りしてるよなぁ』と思いつつも彼に最後のチャンスを与えました。果たして彼らは11時頃に無事に戻って来て、その後他のスカウト達と隊長と今井副長が一緒にカウントダウンのイベントに出かけていきました。僕とスガマさんは既にぐっすりと寝ているスカウト達とお留守番をしていました。
その日ビレッジで踊っているスカウト達を見ていて本当に『うらやましい』と思いました。自由に、出身地なんて関係なく、男も女も『楽しんでいるぞ!』と全身で表現しているようでした。『あーあ。リーダーじゃなかったら。』と少しブルーになりました。
カウントダウンが始まり新年を迎えました。でも、暖かいし、忙しいし、疲れているし、全然実感が湧きませんでした。
隊長がスカウト達を連れて戻ってくると、すぐに消灯にしてリーダー達は少し話をして休みました。『今年が終わったなんて信じられないし、とてもじゃないけど新年なんて迎えられません!!』と思いつつ、本日の業務終了です。
- 今回参加したスカウトの中で本当にエンジョイしてきたスカウトが何人いるのかと思います。締めるとき締めて、遊ぶや時ふざける時、存分にやればもっと楽しめたと思うし、リーダーとしてももっと自由時間を与える事が出来た気がします。スカウト達が行く前に立てた目標の中に「友達をたくさん作る」というものが多かった様ですが、果たして彼らに何人の友達が出来たのでしょうか。僕は今回、友達以上の関係を他国のリーダーやスタッフ達と作って来れたと断言出来ると思います。
- 1月1日[元旦]
6時起床のはずが、6時半に目覚めると既にスカウト達もリーダー達もサイトからいなくなっていました。『あれー?』と思っていると今井君がトイレから戻って来ました。「みんな初日の出を見に行ったみたいですね。」と今井君に言われ、『そう言えばそうだった』と思い出し幸運な事にまだ朝焼けが始まったばかりだったので、急いでビーチに向かいました。
皆がいるビーチに着くとちょうど初日の出が上がってきました。皆で記念写真を撮ったりして過ごし、その後再びサイトに戻り寝る者、もいて起床時間の8時まで自由となりました。
僕は年初めの一服をしに喫煙所行くと、イギリスのスカウトが、夜通し遊んだらしくグッタリしてタバコを吸っていました。「オールナイトで遊んでいたの?」ときくと「もちろん。ニューイヤーだからね。」と少し笑って彼は答えました。
サイトに戻り、8時から朝食の準備を始めさせ、10時まで朝食を含めテント内の整頓などを行わせ、10時から朝礼。隊長の挨拶をしていただき、その後、当初からの茨城隊のスカウト達の態度、行動にやや問題ありと判断したため、僕や今井君、スガマ副長から色々と話をしました。
昼食は皆でそば、うどんをゆでて冷やしにして、それを皆で食べました。昼食後に今度はスポーツチャンバラをステージでやる事になっていて、隊長が胴着を着て各国のスカウトを容赦なく叩きのめしていました。もちろん、茨城隊のスカウトと他国のスカウトの対戦もあれば他国同士の対戦もありました。しかしSCのプログラムとして「やってください」と言われてやっているにも関わらずあまり人数が集っていないのには、少し憤りを感じました。
2時間くらいチャンバラをやって、その後体調の悪いスカウト以外でビーチに行く事になりました。日差しもかなり弱くなっていたのであまり体力の消耗も無いと思われ、隊長がIDカードや荷物を見ていてくれたので、スガマさんの水着姿には『ドキッ』としましたが、副長3人もスカウト達と一緒に楽しく泳いだりしました。
ちょうどその時にかなり内気なスカウトに僕がたまたま持って行っていたアメリカのプロレスの本を貸していたのですが、彼がその本を僕から借りたい時に僕は忙しくしていて、あまりサイトに居れなかったのですが、その時に彼がスガマ副長に「石田副長いつ戻ってくるんですか?」と聞いていたらしく、スガマ副長が「どうして?」と聞くと「借りたい本があるんです」と答えたそうです。「何の本が借りたいの?」とスガマ副長が聞いても彼は答えなかったそうです。そこで僕が本を貸した本人に海の中で「スガマ副長が何の本を君に貸したのかって聞かれたから『ハダカとハダカがぶつかり合う本を貸しました。』って言っておいたよ。」言うと内気な彼は顔を引きつらせて「スガマ副長は今どこですかー」と言ってぎこちない泳ぎ方でスガマ副長を探して漂って行きました。『何の本だと思われるのが嫌だったのかな?』もちろんスガマ副長はプロレスの本だと言う事は知っていました。
1時間ほどビーチで遊んでからシャワーを浴び、スカウト達はサイトに戻り、僕はリーダー会議に行きました。
元旦は全てにおいて休日だったので、会議には約半分のリーダーしか来ていませんでした。会議が終わり喫煙所でタバコを吸いながら自分なりに内容をまとめていると、顔なじみになっていたイギリスのセキュリティーの若いスタッフがグッタリした様子で喫煙所に来ました。「昨日今日は忙しかったみたいだね」と言うと「クレイジーな程忙しかったし全然寝てなくてキツイ。」と言っていました。
サイトに戻り夕食後に班長会議をしました。伝えるべきことを、伝えるべき人間に伝えていましたが、問題の隊付がまた寝ていたので、『もう我慢ならん』と思い班長会議を中断して、彼に対してピンポイントで怒りました「お間は一体何なんだ? ここに何をしに来たんだ? 何回注意されればわかるんだ? ここに来て欲望のまま自分の好きな事だけしていないか? だいたいなぜお前だけ会議中に寝ている?」などと問答無用で文句を延々と言い続けました。多少反省の色が見えたので、へこんでいる彼をほっといてそのまま班会議を続けました。その後班会議、リーダー会議を行い本日の業務終了です。
その後はSCスタッフと話したり、スガマさんの洗濯に付き合って洗い場で話をしてから寝ました。
- 今回、数々の行動に対して憤りを感じたので、隊付に対して怒りました。しかし、かつては僕も大会奉仕の際に怒られた記憶があります。だからこそ僕自身あまり彼に対して怒りたくなかったのですが、やはり[自分の行動がおかしいと理解していない若いスカウトに対しては誰かが怒らなければならない。] と思い、彼を怒りました。
時代は繰り返されると言いますが、果たして彼が年を取ってから、若いスカウトに対して怒る日が来るかどうかはわかりませんが、僕はとても楽しみです。
- 1月2日やはり6時に起きられず、起きたら既に朝食が出来ていました。
本日のプログラムは午前・午後とも場内プログラムの[地球開発村]でした。スカウトたちをプログラムに行かせた後、隊長は海軍病院へスカウトに見舞いに行きました。本日も体調の悪いスカウトが何人かいたので、僕は彼らと一緒にサイトでお留守番をしていました。
昼食は配給のランチボックスとペットボトルの水だったのですが、昼前に配給される事になっていました。スカウト達は一度プログラムからサイトに戻って、サイトで昼食を食べる事になっていました。スカウト達が戻って来ると配給を取りに行かせ、班ごとに食事をさせて再びプログラムに行かせました。
午後からは、スガマ副長と二人で、茨城にホームステイする予定のイギリスのスカウト、リーダーがキャンプしている少し離れたサイトまで行きました。そこでアンディーという名前のリーダーと少しお話をして、「翌日か、その次の日に茨城隊とイギリス隊で交流会をしたらどうでしょうか?」という提案をすると、「いいねぇ。」とアンディーが了承してくれました。その後話をまとめてから、来た道をスガマさんと途中スーパーで買い食いなどをしながらサイトまで戻りました。
サイトに戻ると海軍病院から隊長が戻って来ました。隊長が「まだ入院しているスカウトが良くならないと言っていました。その後リーダー達と夜に行われるナイトプログラムの[シーフェスティバル・海のお祭り]の打ち合わせをして、再び[ヨサコイソーラン節]を躍らせる事にしました。夕方になり、本日もSCのリーダー会議に出席しました。
会議では翌日のプログラムの説明を受けた後にシーフェスティバルの話になったので、「ソーラン節は漁師の踊りなので、日本のスカウト達をステージで躍らせたいのですが。」と僕が言うと「他の隊の出し物があまり無いうえ、既にスカウト達による水かけ合戦が始まってしまっているので今夜は中止にしたい」と言われ、『はぁ?』と思いましたが、一度隊長に報告してから文句を言った方が良いと思い「わかりました。」と答えました。
会議が終わり急いでサイトに戻ると、スカウト、リーダー全員が既にヨサコイソーラン節の準備を終えていました。僕は『まずいな』と思いつつ、隊長に「今夜のナイトプログラムは中止になりました。」と報告すると、「こう、何度もSCプログラムに振り回される様なら日本隊はボイコットしようか。」と言われ僕も同感でした。
スカウト達には「今夜のヨサコイは中止。水かけ合戦してこい。」と言ってサイトから出して、リーダー達で今後の対応を話そうと思っていると、すぐにスカウト達がサイトに戻って来て「もう水かけも終わっていました。」と言われたので、隊長にお伺いを立てて時間を決めて自由時間にしました。その間にリーダー会議をしました。隊長の怒りが解ったのでその後SCオフィスに抗議に行きました。僕はSCオフィスに行くと、そこに居たピトゥンとマークに対して「我々日本隊は、あなた達が行ってきたサブキャンプのプログラムに対して、疲れている中でも全力で協力、参加してきました。しかし度重なる情報の遅れや、今夜のような直前になっての予定変更にとても怒っています。隊長はすごく怒っていて、今後のSCプログラムをボイコットしようとまで言い出しています。日本隊のスカウト達は漁師の踊り(ヨサコイソーラン節)を一生懸命練習してきました。まして彼らが踊る時に着るハッピを他国のスカウト達が欲しがっていて、『物々交換して』と言われています。スカウト達はその度に『NO』と言って断っています。彼らが『ハッピをいつ交換していいのですか?』と我々リーダーに対して聞いてきますが、もう踊るチャンスは無いのですか?」と言うと、ピトゥンが、「わたし達もこのサブキャンプの運営を手探り状態で行っています。しかもビレッジ本部からの指示により、予定の変更に次ぐ変更が起きています。その事に対して私自身とても憤りを感じています。もし私があなたの隊長の立場だったら、同じように怒ると思います。でも今、皆で協力しなくてはこのサブキャンプはダメになってしまいます。」と目を潤ませながら僕に言いました。
僕も『悪いのはこの人達じゃない』と解っていました。そして、「漁師の踊りについてはもう一度踊る場を設ける事を約束します。」とマークが言ってくれたうえ「僕が君の隊長さんに謝罪に行こうか?」と言いました。しかし僕はもう怒っていませんでしたし、彼らの気持ちが理解できたので「大丈夫です。」とマークに対して答えました。
その後サイトに戻って隊長や今井君スガマさんに対して今聞いてきた話を伝えて怒りを静めてもらいました。自由時間を終えてスカウト達は班長会議、班会議を行い、僕はリーダー会議で翌日のプログラムの説明を行いました。その後はまったりとリーダー達とお話をして寝ました。
- 今回本音と本音をぶつけ合った事により、SCスタッフ達との絆がとても強くなった気がしました。
特にピトゥンはとてもいい人で、入院しているスカウトに対して「彼はまだ退院しないの?」といつも聞いてくれていました。マークはいつもユーモアがあって場をなごませてくれますが、本気の時は真剣に物事に対して行動してくれる人だったので、僕は今回の大会で彼らに出会えて本当に良かったと思っていますし、この世界規模での人と人とのつながりは僕自身の大きな財産であると思います。
- 1月3日「いしださーん朝ですよー。い・し・ださーん起きて下さい。」とスガマ副長に体を揺さぶられて目覚めました。朝食は既に出来ていて『またやっちゃった』と思いつつ起きました。
本日のプログラムは場外で行われる自然探求[ハイキング]。この日僕は隊長の代わりに海軍病院に行く事になり、隊長、今井副長、スガマ副長、上班が各班について場外プログラムに行きました。もちろん体調不良のスカウト達も居たので、彼らの様子を見てから一路海軍病院へ。まずジャンボリー病院に行って、そこから車に乗って場外にある海軍病院に行くのですが、ジャンボリー病院のスタッフに「海軍病院に行きたいのですが」と言うと、タイ訛りの英語で「外場許可証を持っていますか?」と言われ『そんな物が要るなんて聞いてねーぞー』と思いつつ、「持ってません」と答えると「会場の外に出るには外場許可証が必要です。あなたの国の派遣団本部でもらってきて下さい。」と言われました。仕方がないのでとりあえず一度サイトに戻ると、ちょうど派遣団のお医者さんとスタッフが回診に来ていて、体調不良のスカウト達を診察してくれていました。
僕は外場許可の話をすると、スタッフの人が連絡事項を書いた書類をくれて「これ、読んでください」と言いました。そこには[海軍病院に行くには、日連の派遣団本部の総務に外場許可証を作ってもらって派遣団長のサインをしてもらった外場許可証をジャンボリー病院に持っていけば海軍病院に行けます。]と、書いてありました。『ドラクエの謎解きじゃねーぞ』と思いました。医者とスタッフが帰ると、日連の派遣団本部まで隊付に付き合ってもらって外場許可証を作ってから午後に出発する海軍病院行きの車に乗る事にしました。
再びサイトに戻って休んでいると、何と海軍病院に入院しているはずのスカウトをアメリカ連盟の日系のリーダーが連れて帰って来てくれました。「ありがとうございます。」と御礼を言って。入院していたスカウトをイスに座らせて休ませました。僕自身仕事が減った事もあり少し肩の力が抜けました。昼食後今までシャワーを浴びられなかったろうと思い、入院していたスカウトをシャワーに行かせました。僕も少し休んでいるとプログラムからスカウト達、リーダー達が戻って来ました。隊長に事情を説明して無事スカウトが退院した事、アメリカのリーダーが送ってきてくれた事などを報告しました。
その後SCのリーダー会議に出席して、班長会議、班会議、リーダー会議を行い、本日の業務終了です。その後リーダー達と談笑していて特にスガマさんに「朝の起こし方はどうすれば良いですか?」と聞かれたので、「ベッドごとひっくり返して下さい」とお願いしていました。
- 自分自身相当疲れているのがわかるのですが、スカウト達がプログラムに行っている時にあからさまに昼寝するわけにもいかず、それでいて夜の交流の時間も大切だったので朝起きれないのは仕方がないとは思っていたのですが・・・。
- 1月4日「ズテーン」とベッドから転がり落ちて『な、何だぁ?』と思って意識を回復させていると『ああ、スガマさんにお願いしていたな。』と思い出して目覚めました。かなり楽しそうな笑顔のスガマ副長に「おはようございます。」と言われて、『このヒトSかも。』と思いました。
本日のプログラムは場内プログラムで、午前中[文化の交差点・各国の文化、宗教を体験]、午後からは[フェースザウェーブ・海のプログラム]でした。朝食が済み、スカウト達をプログラムに行かせてから喫煙所に行き、タバコを吸いながら久しぶりに色々と考え事をしました。サイトに戻ってのんびり過ごし、昼食に戻ってきたスカウト達にランチボックスを配って食べさせ、午後の[海プロ]に送り出しました。
僕は海のプログラム、特にシュノーケーリングが好きなのですが、午後のプログラムの時間に会議が1つ入っていたので残念ながらプログラムへの参加を断念しなければなりませんでした。その後会議に出席してからサイトに残っていたリーダー達とその夜行われる最後のヨサコイソーラン節の話などをしていると、スカウト達が楽しそうに[海プロ]から戻ってきました。ヨサコイがあるので早々に夕食の準備をさせて食べさせていざステージへ。
今回は『踊りを他の隊のスカウト達に覚えてもらって一緒に踊る』というコンセプトがあったので、ただ踊れば良いわけではなかったので大変でした。しかもヨサコイがある程度踊れるようになったら、今度はスポーツチャンバラもやらせなくてはいけなくて、てんやわんやでしたが、スカウト達は充実した時間を過ごせた気がします。ただその時、僕はクリニックに具合の悪いスカウトを連れて行った時に知り合ったタイ人のオカマに付きまとわれてちょっと大変でした。ただ、イイ奴でした。「タイのTシャツあげる。」と言ってTシャツ―しかもMサイズ―をくれました。ただ、僕としてもただもらうだけでは悪いので、僕も自分のTシャツを彼にあげました。
ナイトプログラムは成功のうちに終わり、その後のSCの会議では他隊のリーダー達から色々とお褒めの言葉を頂きました。サイトに1度戻って翌日の事などをリーダーに話してから、僕は再びSCオフィスに行ってSCスタッフや他隊のリーダー達と夜遅くまで楽しいお話をしました。本日の班長会議、班会議は翌日がプログラムの無い休日と言う事もあって隊長判断で最低限の話で終わらせたので楽でした。
- 翌日には県連の人達が見学隊として来る事になって、お土産や差し入れがとても待ち遠しかったです。
- 1月5日再びベッドから転げ落とされてお目覚めです。
茨城隊が少したるみだしていたので、朝から上班を1発ブン殴りました。この日はプログラムの無いお休みの日だったので、スカウト達と今井副長とスガマ副長と一緒に需品部やいろいろなものが展示してあるワールドスカウトセンターに行きました。実はそこに県連の見学隊が来る事になっていたので、そこで県連の人達が来るまで休んでいました。
県連の人達が来ると、皆で記念撮影をしました。その後県連の人たちは派遣団本部に行ったりサイトに行くと言うので案内を隊付2人に任せて、僕、今井副長、スガマ副長とスカウト達で、茨城に来るイギリス隊のサイトへ交流しに行きました。イギリス隊のサイトでは茨城隊のスカウトが全員来ると思っていなかったらしく、わざわざ飲み物などを追加して準備してくれました。茨城のスカウト達は英語があまり話せずに身振り手振りで何とか自分の言いたい事を伝えようとしていましたが、それにも限界があった様で、見るに見かねて僕が助け舟を出す場合もありましたが、とても楽しいひと時を過ごせた様でした。
イギリス隊のリーダーのアンディー、クライブ、サラが茨城のリーダーである僕や今井君、スガマさんにそれぞれ話をしてくれました。程なくしてお使いをしていた隊付達が来て交流に参加しました。スカウト達がワッペンなどを物々交換しているとスガマ副長が隊として持ってきたハッピをサラにプレゼントすると、サラが代わりにスガマ副長にイギリスの制服をプレゼントしてくれました。ハッピを着たサラが「ちょっと着てみて」とスガマ副長に言って副長がサラの制服を着ると、とっても似合っていて、皆が拍手しているのに、例の隊付が「服の胸の部分がゆるそう」みたいな事を言ったので副長にひっぱたかれていました。
楽しい時間は経つのが早いもので自分達のサイトに帰る事になりました。帰る前に隊長のクライブに「もし良かったら明日の夜くらいに我々のサイトにリーダーだけでも遊びに来ませんか?」と聞くと「喜んで行きます。」と言ってくれたので、時間を決めてからイギリス隊のサイトを後にしました。
自分達のサイトに戻ると、県連の人が来ていて会場の暑さにかなり参っている様子でした。スカウト達に昼食のランチボックスを食べさせ、隊長に「明日の夜イギリスのリーダー達が遊びに来てくれるそうです。」と伝えました。隊長は午前中サイトで留守番していたのでとても嬉しそうでした。
その後隊長は県連の人を送っていったので、スカウト達はスガマ副長、今井副長に連れられてビーチに行きました。悔しい事に僕はまたもSCの会議があったために行けませんでした。会議から戻るとビーチから戻ったスカウト達に夕食の準備をさせました。そして僕自身久しぶりに美味しいものが食べたかったので自分でリーダーの食事に他人丼を作りました。
その時、ベルギーの女の子が「誰か日本のハッピと私のTシャツ、ワッペン、スカウトグッツと交換してくれませんか」と茨城隊のサイトに来ました。その時はほとんどのスカウト達が既にハッピを交換してしまっていました。僕は「まだハッピを持っている奴居ないか」とスカウト達に聞きました。1人いました。しかしそのスカウトは、ベルギーの彼女が持っているものは欲しくなかったらしく彼女の申し出を断っていました。その時の、彼女の悲しそうな顔ときたら僕としては見ていてとても耐えがたいものでした。夕食後僕は自分のハッピを持って、ベルギーのキャンプサイトに上班に付き合ってもらって行きました。サイトのゲートの前に行って「すいませーん」と声をかけると、かなりの数の女の子達に囲まれました。このベルギーの隊は女子だけの隊でした。僕はそこで、「さっきベルギーの女子スカウトがハッピと何かを交換したいと日本隊のサイトに来ました。その時は交換できませんでしたが今なら出来るので日本のサイトに来た人を呼んでもらえませんか?」と聞くと「今居ないかもしれないので、誰だか探しておきますから、また後で来て下さい。」と言われました。そして僕は「スカウトをハッピーにするのがリーダーの仕事だからね」と言うと、かなり警戒していた彼女達は笑顔になりました。その後再び自分のサイトに戻りました。
今夜のナイトプログラムの[タイ・フェスティバル]が行われました。我々のいるSCにはタイの隊が3隊あり、ホスト国でもあるタイのスカウト達による民族舞踊などを見る事が出来ました。その後SCのリーダー会議に出席してからサイトに戻り班長会議、班会議、リーダー会議を行ったあとまた僕は上班に付き合ってもらってベルギー隊のサイトに行きましたが皆夜遊びに行ってしまったらしく留守でした。その後上班と別れてオフィスに行き、SCスタッフや他国のリーダー達とお話をしました。そこで、イギリスのリーダーに「君ってギリシャのリーダーだよね」と言われました。基本的に誰もが「どこの国の出身ですか?」と僕に聞いてきて、ある意味それが僕に対する挨拶みたいなものだと思っていましたが、ギリシャ人に間違えられたのは初めてでした。もちろん彼には「日本人のリーダーだよ」って言いましたよ。その時ノムが「我々の王様がスカウトの制服を着ている肖像が刻印されている今回のジャンボリーの記念コインなんだ」と言ってタイの10バーツコインをプレゼントしてくれました。マークも少し壊れていて、ピトゥンに「Mr.ビーンやってー」と言われると、Mr.ビーンの歩き方や仕草、顔真似を披露してくれました。
そんな楽しい時間を過ごしていると、スガマ副長が「石田さーん。県連の人が持って来てくれた差し入れを一緒に頂きません?」と誘いに来てくれました。少しの間一緒にMr.ビーンを見たり、彼女もノムから記念コインをもらったりしました。その後スタッフ達にバイバイしてサイトに戻りました。
サイトに戻ると既に隊長も今井君もスタンバイしていて、リーダー4人で美味しいものを頂きました。そして最後まで頂いていた僕はトイレに起きたスカウトと寝ぼけた上班と話をしてから寝たようです。『記憶がすごく曖昧です。』
- ジャンボリーが終わりに近づくにつれ『やっと帰れる』という安心と『もっとここで生活したいのに』という気持ちが大きくなっていきました。当時の僕に「帰りたいのか?まだ居たいのか?どっちなんだ?」と問いただしても、きっと答えは出なかったと思います。矛盾した心に対して、時間だけが過ぎていく。そんな、寂しく切ない気持ちが大きくなっていきました。
- 1月6日今日はなぜか自分で起きました。
今日のプログラムは場外の[地域への奉仕]でした。朝食後、各班にリーダーが付いていく予定でしたが、また体調不良のスカウトがいたので、僕が残って代わりに上班に行ってもらう事になりました。しかし、僕のミスのせいで、上班の連れて行った班がプログラムに行けなくなってしましました。と言うのはジャンボリー会場ではスカウトは緑色の、リーダーはオレンジ色のネッチをする事になっていたのですが、僕が上班にオレンジ色のネッチを渡し忘れたために、場外プログラムには原則として各班にリーダーが付いて行く事になっていて、上班率いるスカウトだけの班は場外に行けなくなってしまいました。戻ってきた班に対して僕は「今日は奉仕の日だからサブキャンプのゴミ拾いをして奉仕をしなさい。」と指示を出しました。『他の班が場外でどんな奉仕をしてくるかわからないけど、場外に行けなかった事を負い目に感じさせたくない』と思ったからです。
ゴミ拾いを終えた彼らに対して今度は「ハンドブックに新しい友達の名前・アドレスなどを書いてもらうページがあるからそこにサインをしてもらって、一緒に写真を撮って来なさい。なるべくかわいい娘がいいんじゃない?」と指示を出しました。彼らは汗まみれホコリまみれになりながら指示をこなしていましたが、僕は『今はつらくても、きっと後々良い思い出になるだろう。』と思って指示を出していました。指示を出してから僕は特に具合の悪いスカウトがいないし、上班がサイトにいたのでSCのオフィスに行ってマルタとノムと一緒に話をしていました。小さい息子がいるらしいノムには、昨夜のコインのお礼に「息子と一緒に遊んで」と日本のおもちゃケンダマをその時プレゼントしました。そして夕方になってよそのスカウト達がプログラムから戻って来たので僕もサイトに戻ってマッタリしているとスカウト、リーダー達が戻ってきました。僕は隊長に上班の連れて行った班がプログラムに行けなかった報告をしました。隊長はそれほど疲れていなかったのですが、スガマ副長と今井副長がかなり疲れていました。プログラムがかなり過酷な強制労働だったらしかったです。
その後僕はSCの会議に出席してからサイトに戻ると、スカウト達は夕食を食べていました。夕食後に班長会議、班会議、リーダー会議を行いました。会議ではナイトプログラムの事、撤収の事などを僕が説明しました。その日のナイトプログラムはキャンドルを使ったキャンプファイアーでした。スカウト達をナイトプログラムに行かせて、リーダー達はその夜遊びに来る事になっていた、イギリス隊のリーダー達をもてなす準備をしました。スカウト達には「キャンプファイアーが終わったら班ごとに自由時間」と指示していました。程なくしてイギリス隊のリーダー達がサイトにやってきました。彼らとは英語でお話をしたのですが、基本的に僕一人で彼らと話をして隊長、スガマさん、今井君に通訳していたような感じでした。クライブは日本の気候などを聞いていましたしアンディーは日本の刀や相撲にとても興味を持っているようでした。他のリーダー達は日本の食べ物の話などをしていました。1時間程お話をして彼らは帰っていきました。その時の僕は完全に英語モードになっていたので、彼らがあえてわかりやすい英語を話してくれたのかも知れませんが、ほぼ100%彼らの話を理解出来ていました。本当はサブキャンプのオフィスでリーダー対象のパーティーがキャンプファイアーの後に行われていたのですが、あえてイギリス隊のリーダー達とお話をしていました。スカウト達が戻って来たので上班、隊付にスカウト達を寝させるように指示を出して、リーダー達はその後SCのリーダーパーティーに行きました。
オフィスでのパーティーは既に終わりかけていて、リーダー、スタッフともにあまり人数は居ませんでした。ただ、4人でそこへ行くとマークが飲み物を用意してくれて、ノムとピトゥンが少し話し相手になってくれました。隊長は、僕とスガマさんがもらったコインが欲しかったそうで、ノムに「僕の隊長にもコインくれません?」と聞くと「いいよ」と言って隊長にコインを渡してくれました。そこにたまたまベルギーの女性リーダーがいたので例の事情を話しました。話の最後に「彼女が日本のハッピと交換出来なくてとても悲しそうな顔をしてそれがすごく嫌でした。リーダーと言うのはスカウトをハッピーにするのが勤めですからね。」と言うと、彼女も「そうね」と笑顔で答えてくれました。
時間も遅くなってきたので、サイトに戻ると上班、隊付が待っていてくれました。その後はフェース・ザ・ウェーブのスタッフが持ってきてくれた心霊写真を見たりして、楽しく深夜までお話しました。
- 今回これほどまでに僕の英語が役に立ってとても良かったし、光栄に思います。ただ、僕もまだまだ勉強不足だと思いますが、今回参加した茨城隊の皆は各自の英語力をどう思ったのかな?『英語が話せなくて悔しい』と思った人にはその悔しさをバネにして、次に英語を使う機会までに頑張って勉強してもらいたいと思います。
CMで、「英語は地球語」とうたわれていますが、まさにその通りだと思いました。
- 1月7日今日も自分で起きました。
朝食後撤収するために各自の個人装備をパッキングさせて午前は班ごとに自由時間でした。僕はオフィスに行ってSCスタッフ達とお話をしていました。マークが「オー僕のジャンボリーよ何処へ行く〜」と言っていました。いつも忙しいピトゥンとその時話が出来ました。彼女に「記念コインに王様が描かれるなんてよっぽど国民から愛されているんですね」と言うと「ええ。タイの王族はとても国民から愛されていて、彼らは貧しい人々に対してとても親切なのです。我々タイ国民は今の王様がいつ亡くなってもいいように既に準備が出来ています。日本にも皇族が居ますよね。彼らはどうなのですか?」と聞かれました。僕は「日本にも皇族が居ますが第二次世界大戦以後の彼らはただのシンボルで、実際のところ何をやっているか国民にはよくわかりません。老人達には愛されていると思いますが、僕もそうですが若い国民にはあまり支持されてない気がします。」と答えました。 彼女は世界大戦の話を引き合いに出して、「戦争はとても悲しい事です。だから決して始めてはいけないと思います。」と言いました。僕も「ブッシュがイラクと戦争をはじめようとしていますが、反対です。」と答えました。その後、他の話題も話しましたが、お互いに「お話が出来て良かったです。」と言って僕はサイトに戻りました。サイトに戻る時にベルギーのリーダーを見かけたので「例の彼女は見つかりましたか?」と聞くと、「どうやらそのスカウトは、よそのサブキャンプのスカウトみたいです。そしてよそのサブキャンプのリーダー達にも聞いたのですが該当者を見つけられません。今回はあなたの気持ちで十分です。ありがとう」と答えてくれました。僕は『とても残念だなあ』と思いました。
サイトに戻って昼食を食べた後、隊付と大会需品部にお土産を買いに行きました。需品部で今回の大会の記念グッとタイの民芸品の布を買って辺りを散策していると像がいました。小さい頃に動物園で見て以来だったので、久しぶりに『でかいなー』と再確認してからサイトに戻りました。サイトに戻ると既に半分のテントはたたんでありました。夕方から閉会式が行われるので、僕はシャワーを浴びて、ジャンボリー会場に来てずっと着ていたタンクトップに海パン、頭にタオルにサンダル履きの格好から制服に着替えました。
閉会式はまずサブキャンプで行い、その後アリーナにて全体で行われる事になっていました。SCの閉会式に出て、それから全体の閉会式に皆で行きました。閉会式では各国の演技が行われたり、大会期間中に撮影されたフィルムが上映されたりしました。そうこうしていると、何だかだんだん調子が悪くなってきて、遂には骨や体の節々が痛くなってきました。『マズイ。このままだと自力でサイトまで歩いて帰れなくなる。』と思いました。近くにいたスガマ副長に「調子が悪いので先にサイトに戻ります」と言って一人フラフラしながらサイトに向かいました。途中、相当調子悪そうに歩いていたのか、救護のスタッフが鼻から吸入する薬をくれました。オフィスにいたピトゥンに「どうしたの」と聞かれたので、「風邪が発病したみたいなので、スカウトにうつさないようにして寝ます。」と言いました。サイトに戻って、差し入れとしてもらっていた強壮剤を飲んで、スカウトにうつすとまずいので、ベッドを少し離れたところまで持って行き、横になって『海軍病院に行く時に風邪の菌をもらったのかな』と思いつつ寝ました。
- 病院プログラムをしていたのだから、『感染する危険がある』ともっと気を付けるべきだったのですが、最後に僕が倒れる事になろうとは夢にも思っていませんでした。ただ、これが他のリーダーやスカウトでなくて良かったと思います。
- 1月8日身体が痛くて咳が出てのどが痛いし、すごく調子が悪くて目が覚めました。
『身体が思うように動かない』と思いつつ個人装備をパッキングしました。『やっぱりリーダーとしては無理をしてでも動かなくては』と思い、重い身体をいかに元気っぽく見せるか考えながら行動するようにしました。前日に買っておいた炭酸水や水でシャンパンファイトの真似を皆でして、いよいよこのサイトとお別れです。隊長とオフィスに行き、ピトゥン、マーク、ノムにお礼とお別れを言って握手をました。そしてマークには個人的に僕のハッピを彼にプレゼントしました。彼は「今お返しできる物が手元に無いから、帰国したらイギリスの制服を名誉にかけて君に送ります。」と言ってくれました。その時上班が、「僕のハッピ誰かと交換したいの」と言っていたので近くにいたベルギーの女の子の所に行かせました。すると、そのベルギーの女の子は上班にただ、「Tシャツをあげる」と言って差し出しました。上班はちょっとたじろぎましたが、自分の持っていたハッピを彼女にプレゼントしていました。『やるじゃない。ただ彼女からTシャツをもらう事も出来たのにそれをせずに一時期はすごく価値があったハッピと交換するなんてかっこいいじゃない。』と、とても嬉しく思いました。上班に「ハッピなんて日本に持って帰ってもしょうがないもんな」とフォローしたのですが、「でも大切な思い出の品ですよ」と突っ込まれてしまいましたが。荷物をSCオフィスの近くまで持って行き、弥栄三唱。そして、マークとピトゥンとノムから「4年後にイギリスで会いましょう。[約束]だよ。」と言われました。
嬉しく思いましたが、『また約束しちゃったなぁ。』とも思いました。その後バスに乗って、多くの人々による数々のドラマの舞台となった第20回世界ジャンボリーの会場を後にしました。バスの中では疲れたスカウトは寝ていましたし話をする者、思いにふける者それぞれでした。途中ドライブインでトイレ休憩をした時に久しぶりに、かなり日焼けして、とてもやつれた自分の姿を鏡で見て少しびっくりしました。その後昼食をレストランで食べ、会場入りする前に泊まったホテルに行きました。ホテルではシャワーを浴びて、スカウト達は昼寝するも良し、班で買い物しに行くも良し。基本的に自由でした。上班と隊付達にスカウトを任せてリーダー4人はホテルのレストランで食事をしました。その後夕食の時間になりバイキングの夕食を班ごとに食べさせ、再び個人装備をパッキングさせて帰りの飛行機に乗るために空港へ。
空港でチェックインして荷物を預けた後に免税店を見る時間がありましたが特に買うものもなく、深夜の便で成田へ。機内ではかなり調子が悪くおそらく僕は熱があったと思います。
- 朝になって1月8日。
空港で入国手続きの時に僕のパスポートの写真と今の顔がかなり違うために、入国管理官に「メガネを外してください」と言われてしましました。それが済むと、預けていた荷物をスカウト達にピックアップさせて、検疫、税関はノンストップで到着ロビーへ。そこには県連の人達もスカウトの保護者達も迎えに来ていて、『ああ、やっと終わったんだなぁ』と思いました。
到着ロビーで解隊式をして解散しました。そこで、多くの保護者達、スカウト達から「お世話になりました。」と言われ、『はい凄くお世話しました』と言いたかったですが、「ええ」とか「まあ」としか言いませんでした。
県連の人と隊長が「イギリス隊と今夜懇親会やる。」という話を聞いていて『もう一度彼らと会いたいな』と思いましたが風邪と疲れがどこまで回復するかわからなかったので、その時は「行きます」とは言いませんでした。「お疲れ様」と言ってみんなと別れて空港のコンビ二でビールを買って帰りの電車の中で通学途中の高校生達から『この人何人だろう?』みたいな視線の中ひたすらビールを飲みました。かなり美味かったです。
最寄の駅まで親に迎えに来てもらって家に帰りました。帰ってからは荷物もほどかず、風呂にも入らずにビールに酔ったままベッドに倒れこんで寝ました。眠りました。・・・・ZZZZZ
- 目が覚めると夕方でした。『体調は・・・悪くない。こうなったら行くしかない』と思い、県連の人と隊長に連絡して一路水戸へ。2週間以上運転していなかったから、少しづつ勘を取り戻しつつ高速を使って水戸のうどん屋に行きました。そこにはかなり疲れた隊長と、かなり酔ってる県連の人とクライブ、アンディーそれとイギリスの女子スカウト2人、それに去年グァムに連れて行った3人を含めた水戸のスカウト達とリーダー達保護者達がいました。クライブに「ジャンボリー会場で会ったときとずいぶん感じが違うね」と言われたので「これが本当の姿なんです。」とジョークを言って楽しみました。
クライブとアンディーを含めた何人かの観光案内をする事になっていたリーダーから「彼らの行きたい場所、食べたいもののリクエストを聞いてください」と頼まれ彼らに聞くと「皆さんが連れて行ってくれる場所、用意してくれる食べもの何でもいいです。」と答えられて、少し困りました「例えば刀なんかが展示してある博物館などはどうですか?」と聞くと「是非行きたいです。」と言われたのでその旨をリーダーに伝えました。程なくして懇親会も終わり、クライブとアンディーと握手して「4年後貴方達の国で会いましょう。」とまた[約束]してしまいました。
車に乗って送られていく彼らに手を振ってバイバイした後、県連の人に「彼らと話をする事が自分の財産になると思ったから今夜はちょっと無理してでも来ましたが、やはり来てとても良かったです。と言いました。
- 今回の僕の長かったジャンボリーはこの時点で終わったと思います。
- ただ、また[約束]をしてしまった僕は4年後再び[約束]を果たせるかわかりませんがそれに向けて努力はしたいと思います。
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